First Love


寒い……そう感じて翼は目覚めた。
窓からは日が差し込み、雀のさえずる声さえ聞こえ、完璧な朝に感じられた。
時計を見ると10時をまわっている。いつもより遅い朝。
「あー。俺、裸んぼで寝ちゃったのかぁ。」
少し間の抜けた声で呟き、ぐふふと笑う。
今朝に限っては、口元が緩むのを抑えることは、難しいのである。

「岬君、やっぱり、きれいだったなぁ。」

昨日、翼と岬は初めてベッドを共にした。
翼は、ずっと岬が好きで、長い間、こうなることを望んでいたのである。
思い出し笑いせずにはいられない。
白く、滑らかな肌。甘い息遣い。自分の名を呼ぶ甘美な声……。
翼の口元は緩みっぱなしである。
しかし、横を見ると、スイートハニーの岬が見当たらない。
「トイレでも行ってるかな?」
しかし、5分、10分……待っても岬は戻ってこない。
翼はもう少しベッドで昨夜の余韻を楽しみたいところだったが、肝心のマイスウィートを
探すべく、起き上がった。
「みさきくーん。お腹、冷えちゃったかな?」
少しおどけた様子でトイレの前で語りかける。が、返事はなく、人気もない。
カギもかかっていない。
そーっと開けてみると、そこに岬はいない。
「あれれれれ???」
翼は、そう広くない岬の部屋を探した。が、どこにもいない。
ふとダイニングテーブルを見ると、メモと鍵が置いてある。

『井沢くんちへ数学教えてもらいに行きます。僕は受験生なので。
 帰る時、カギかけてポストに入れておいて下さい。昼過ぎには父さんが
 帰ってくるので、それまでに帰って下さい。』

なんだかとっても冷たい口調。
一番翼にひっかかったのは『受験生なので』の箇所が下線をひいて強調されていることだった。
受験とは無縁の自分。
岬が、『受験』という壁を、自分との間に置きたがっているように感じた。
「俺、昨日、何かいけないことした……?」
確かにセックスはした。けれど、合意だった。どう考えても。
岬が嫌がっていたはずはないと、確信がある。
下手だったのか?いや、岬だって、比較できるような経験は、ないはず。
では、なぜ、なぜ、なぜ????
翼の頭にはクエスチョンマークが湧いて止まらなかったが、『昼過ぎに父さんが帰ってくる』
そうなので、とりあえず岬家を後にした。

それからだった。岬が翼を明らかに避けるようになったのは。

翼と岬は同じクラスだったが、授業中、目を合わせようともしてくれない。
前は、翼がじぃっと見てたら岬も見てくれて、にっこりときれいな笑顔を見せてくれたのに。
翼はあの笑顔が大好きだったのに。
休み時間も、岬はフランス時代の勉強の遅れを取り戻す為、先生や他の生徒に勉強を
聞きに行くので、とりつくしまもない。
放課後は放課後で岬は補習があったし、翼はブラジル行きの為の準備やサッカー協会との
打ち合わせ、マスコミのインタビュー対応などで忙しく、ゆっくりどころか一言も話をすることが
できなかった。

そんな日が1週間続いた。
その日は珍しく翼は放課後に何も予定がなかった。
今日こそ岬と話をしよう、そう思って放課後、職員室で教師と卒業後の話をした後、教室に戻った。
そこには岬の姿はなく、数人の女子生徒が楽しそうにおしゃべりしていた。
岬の机にはカバンがあるので、まだ学校にはいるようである。
翼はほっと胸をなでおろした。
「ねえ、岬君、どこにいるか知らない?」
翼は、そこにいる女子に声を掛けた。
「岬君?多分、視聴覚室じゃない?今日6時間目、視聴覚室だったでしょ?岬君、今日は
 日直だから片づけでもしてるんじゃない?」
「ありがと。」
できるだけ爽やかにそう言い、翼は視聴覚室へ走って行った。

「みさきくん!!!」
勢いをつけ、ガラリと視聴覚室のドアを開けた。
そこには岬がいたが、同じく当番であろう、村瀬という女子生徒もひとり、一緒に居た。
翼の剣幕に驚いているようである。
岬は、冷静な表情だったが。
村瀬にはお構いなく、翼は最初の勢いのまま岬のもとへと歩み寄った。
村瀬の目は、あきらかに怯えていた。
「今日こそ、ちゃんと話してよ。」
「………僕、カギ職員室に返しに行くから。翼君も出て。村瀬さん、行こう。」
岬は、そう、目も合わさずに言うと村瀬の背中を軽く押し、視聴覚室から出て行こうとした。
翼は岬の腕を強く掴み、
「ごめん、村瀬、ちょっと席外してくれる?俺がカギ返しておくから。」と言った。
「あ、うん、わかったー。じゃ、頼むね。岬君も、バイバイ。」
村瀬という女子生徒は、この険悪なムードから一刻も早く逃げ出したいのだろう。
大急ぎで出て行った。

翼は、村瀬の足音が聞こえなくなるのを確認してから、邪魔が入らないように、視聴覚室のカギを
内側からかけた。
「なんなんだよ。村瀬さん、びっくりしてたじゃないか…」そう言う岬は、相変わらず目を合わせない。
「岬君が、俺の話を聞こうとしないからだろ?なんなんだよは、こっちの台詞だよ」
翼は溜息を吐き、岬の両腕を優しく掴んだ。
「だいたいさ、どうしてこの前、朝、勝手にいなくなっちゃったんだよ。勉強だなんて
 しらじらしい理由つけて。」
この翼の言葉を聞いた岬は、キッと翼をにらんだ。
「なに!?じゃあ、僕は『翼君、オハヨウ』って言って、モーニングコーヒーでも入れれば
 良かったの!?朝食でも作れば翼君は満足したの!?」
「そんなこと言ってるんじゃないだろ?……どうして、何を怒ってるの?」
「怒ってなんか、ないよ。僕は受験生なんだ。南葛高校が進学校だって知ってるだろ?
 皆と一緒に合格して、サッカーやりたいんだ。君に構ってる隙なんかない。離してよ。」
それまでは穏やかに話すよう努めていた翼だったが、この岬の台詞を聞いて、我慢の限界がきた。
「受験、受験、受験……って……。君は、それを言い訳にして俺から逃げてるだけじゃないか!!
 受験控えてると目を合わせられないのか!?挨拶もできないのか!?笑顔を見せることすら
 できないのか!?」
「………翼君は、勝手だ………」
「勝手?俺が?」
翼を見上げる岬の目には涙がいっぱい溜まっていた。
大好きな岬を泣かせたくなんかない翼は少し戸惑った。
「君、僕を、当然だって顔して抱いただろ?僕は、好きだって言うだけでも、すごく勇気要ったのに。
 それに…」
「みさきくん?」
「君の寝顔見てたら、どうせすぐブラジル行っちゃうんだよな、そしたら僕のことなんか
 忘れちゃうんだろうなって思って……それまでは本当に心から君のブラジル行きを祝福できてた。
 なのに、一回寝ただけで、素直に祝福できなくなってる自分に気付いてさ……そんな自分が、
 すごく嫌だ。……寝たりしなきゃ、良かった。こんなにも自分の心が変わっちゃうなんて。
 君を嫌いになれたらいいって思った。」
岬の目には相変わらず涙が一杯に溜まっている。
今にもこぼれ落ちそうなのに、下のまぶたで懸命にそれを支えている。
それが、翼には愛おしく感じられた。
「みさきくん、それで?嫌いになった?」
岬は、ふるふると首を横に振った。そして、できないんだ、と小さく呟いた。
それを見ると、翼は岬を優しく抱き締めた。岬も、抵抗しなかった。
「みさきくん。俺が、どんなに君を好きか、教えてあげる。」

俺ね、ずうっと前から君が好きだった。
君が日向君を「小次郎」って呼ぶ度に嫉妬で心かき乱されたし、全日本の合宿でも
皆が気易く君に触るのを見て、みさきくんは俺のだ!!って叫びたかった。
若林君から君の近況を聞かされて二人一緒の写真を見た時には目眩すら覚えたよ。
笑わないで。本当なんだから。
君に、やっと好きだって言えた日、すごく嬉しかった。
だって、君も俺を好きだと言ってくれたから。
君と寝たあの日、俺、すごくすごくドキドキしてた。
でも、かっこ悪いから努めてクールに気取ってた。当然だなんて、思えないよ。
君が腕の中にいる間、夢みたいだってずっと思ってた。夢なら覚めるなって。
ブラジル行ったって、君を忘れたりできないよ。
もう、俺の腕が、唇が、耳が、君を記憶してしまったから。
本当にずっと好きだったんだから。

翼は、恥ずかしがる様子もなく語った。一方、岬は恥ずかしそうに首を少し傾げた。
「だーかーらー、そうやってしれっと言えるだろ?それが…」
そう言いかけた岬を翼は強く抱き締めた。
「冷静なんかじゃいられないよ。ほら、ドキドキしてるだろ?」
確かに、翼の胸の鼓動は早かった。

「分かるよ、岬君の気持ち。相手を好きって意識し始めた頃って戸惑うよね。
 嫉妬したり、不安になったり、それまでには持ったことない感情がどんどん湧いてきて。
 その上、自分でコントロールできない。俺はね、君が俺を好きになるよりもずっと前に
 君を好きだったから、もう、戸惑ったりしない。でも、」
「でも?」
「今、俺は君が好き。君は俺が好き。それだけで、十分だろう?」
そう言って翼は岬に口付けようとしたが、岬は人さし指を翼の唇にあてて、優しく拒否した。
「学校だから」と。
「学校じゃなかったら、いいの?」
「まあ、ね。」
「じゃあ、今日これからの岬君は俺がもらった。」
翼は、岬の腕を掴むと、すごい勢いで教室を出、カギを閉めるとさっさと職員室へカギを返しに行った。

「ほんとに勝手だなあ…。でも、そんな翼君だから好きなのかな、僕。」
廊下を走る翼の後ろ姿を見つめながら岬は、そう呟いた。

愛に変わるにはまだ早すぎる、二人の恋は始まったばかりだった。



Fin.



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