CHAPTER 5


「どうした?小次郎?」
日向は弟たちと、父と、昔よく行った土手に座っていた。
高く、青い、夏の空。
とうの昔に亡くなったはずの父。
幼い姿の自分。
とても幸せだった・・・何も考えていなかった頃の記憶。
そう、これは記憶、思い出、過ぎ去ったもの。
何故、今こうして目の前にあるのか。

違和感を感じ、日向は父親の顔をじっと覗き込んだ。
「父ちゃん、なんでここにいる?」
「変なこと訊くなあ。父ちゃんがいるの、嫌か?」
父親は、にこにこと穏やかな微笑みをたたえて訊き返す。
何か、違う。俺の親父は、こんな男じゃないはずだ。
「なあ、おかしいよ。父ちゃん、死んだんだろ?」
「・・・そうだよ。」
「俺は、死んでないだろ?」
「そうだな。」
「じゃあ、会えるはずがないよな。」
「いいだろ、小次郎。理屈なんて。父ちゃんに会いたくなかったか?
 何度も、夢に出てくれって言ってただろ?」
日向は首を振った。違う、やはり、これは父親ではない。
やめろ、やめてくれ。親父の顔をするのは。
声にならない叫びを心の中で何度も繰り返した。
誰が、なんの為に?何故、こんなに似ている?顔も、声も。
頭の中に次々と浮かぶ疑問を振り払いつつ、日向はなんとか声を振り絞った。
「お前、誰だ?」

その瞬間、空間が歪み、父親に似たその「モノ」の顔も恐ろしいくらいに歪んだ。
嫌な音が、わんわんと耳の中に響く。気が狂いそうだった。
身体が宙に浮いたようになり、上も下も、右も左も全く感覚がなくなる。
自分が、今立っているのか、寝ているのかさえ。
ぐるぐると振り回され、目の前では歪んだ父の顔が高笑いをしながら同じように浮いている。
気力がなくなりそうになるのをなんとかこらえ、日向は叫んだ。
「やめろ!俺は、こんなところで止まってられねぇんだよ!」
この叫びが合図にだったかのように、急に回転がぴたりと収まった。
周囲を見渡すと、先ほどまでの懐かしい風景は全て消え、真っ白で無機質な世界が広がっていた。

直径1メートルほどの色とりどりの球体がいくつも、一定の距離を保って
何重にもらせん状にくるくると回りながら上へと上がっていく。
日向は、赤色の球体に乗っていた。
ここは、どこだ?
とりあえず、ここから脱出しなくては。
「小次郎。」
振り返ると、青色の球体に乗った父親もどきが反対側をくるくると上っていた。
「誰だか知らねえけど、いつまでも親父の顔してんじゃねぇぞ。」
「馬鹿だねえ、こうしてればずっと楽しくいられるのに。」
「馬鹿はお前だ。」
「この世界は、全部君の都合の良いように動くんだよ。」
「ふん、くだらねえ。」
「くだらないかなあ。『運命』を自分で決められない方が、くだらないと思うけどなあ。」
「ごちゃごちゃうるせーな。お前みたいな奴には、わからねぇだろーよ。とにかく、ここから出せよ。」

日向にそう言われると、父親もどきはみるみる顔を赤くして怒った。
「やーだね!自分で出てみなよ。そんなに現実が好きならさ。」
そう言うと、ひとつ上の赤色の球体の上に飛び乗った。
すると、父親の姿から、ピエロの格好をした背の低い、中年男の姿になった。
「てめえ!なんで親父のふりしてた!誰だ!?」
「ふん、誰だっていいだろ。せっかく親切にお父さんに会わせてやったのに。恩知らずめ。」
そう捨てゼリフを吐き、男は器用にぴょんぴょんと次々に上の球体に飛び移っていく。
「待て!!どうやったら出られるか言えよ!俺は、やらなきゃいけないことがあるんだよ!!」
そんな日向を鼻で笑い、男は上へ上へと飛び移り、あっという間に見えなくなった。
慌てて日向も上の球体に飛び移ろうとした。
できるだろうか?
まるで風船のように、つるつるとした球体。
下は、底なし沼のようにまったく見えない。
ずっと真っ白な世界。
落ちたら、どこへ行くのだろう。

「なるようにしか、ならねえな。じっとしてるよりはマシだな。」
そう、独り言を呟くと、上の球体めがけて飛び上がった。
ひとつはなんとかクリアした。
「畜生、あの野郎、なんであんなひょいひょいと・・・。見つけたら、ただじゃおかねぇ。」
手の平にかいた汗をシャツで拭うと、もう一つ上の球体に飛び移った。
なんとか乗れた・・・と思った矢先、その球体がくるりと回り、あっと思った瞬間、
日向は下へ下へと落ちていった。
耳元に、あの男の高笑いの声が聴こえた気がした。

どれくらい落ちたのだろう。
いつの間にか地面に横たわっており、今度は真っ暗な世界だった。
またしても上下右左の分からない世界。
「おい・・・。これ、夢だよな・・・。」
だとしたら、人生史上最高の悪夢だと、日向は思った。
立ち上がってみると、痛みは全く無く、どこも怪我していないようだった。
日向はホッとした。こんな時でも、試合への影響を考えていたのだ。

歩いてみると、地面の感触はまるで非常に毛足の長い絨毯の上を歩いているかのような感じだった。
「おーい!誰かいねえか!?」
返事は、ない。
自分の頬をつねってみる。いて、と一言呟いた。
「ちっくしょー、あのヤロー。絶対ゆるさねえ。」
そう、ぶつぶつと悪態をつきながら、とりあえず前だと思われる方向にひたすら歩いた。
すると、前方に、かすかなスポットライトを浴びているポイントがあった。
目を凝らして見てみると、そのスポットライトの下で誰か倒れているようである。
日向は大急ぎでそこへ走りよった。
「おい!お前、だいじょうぶ・・・?」
見ると、それは佐野だった。
すやすやと、気持ち良さそうに眠っている。
その瞬間、日向は、父親もどきに会う直前のことを思い出した。
そうだ、自分は、佐野を探していたのだ。
当の本人は今、目の前で呑気そうに眠っている。
日向は、なんとなく理不尽な怒りを覚えて佐野の頭をはたいた。
「おい、起きろ!」
しかし、佐野は起きない。
腹立ちまぎれに日向は、佐野の髪や頬を思いっきり引っ張った。
すると、ようやく大儀そうに佐野がうっすらと目を開けた。
「いたいなあ・・・。あれ?日向さん・・・?どうしたんですかぁ?」
「どうしたんですかぁ?じゃねえだろ!早く、ここから出るぞ!お前もなんか考えて手伝え!」
「出る?」
「お前、変なおっさんのせいでここに落ちちまったんだろーが。」
「うーん・・・。そうだっけなあ。」
つかみ所のないその様子にイライラしながら、日向は佐野の腕を掴んで引き起こした。
「いいから、とにかくジタバタするぞ。絶対、出てやる。」
すると、意外なことに、佐野はその手を振り払った。
「いいです、俺。すごくいい夢見てたんです、今。」
「はあ?」
「皆で、誰にも邪魔されずに、何も考えずに、何も変わらずに、ずーっとサッカーできるんです。」
はじめ、何を言われているのか理解できず、日向は眉間に皺を寄せ、怪訝な表情をした。
「日向さん、恐くなったことありませんか?」
「……何が?」
「明日、そうじゃなくても近い将来、大好きな人たちに会えなくなったらって。」
「お前、何言ってんだ…?」
「俺は、俺の大好きな人たちとずっと一緒に楽しくしていられたら、良いって思うんです。」
佐野は、とても良い思いつきをした子供のような表情で語る。
それが、日向には気味悪く感じられた。
何も、変わらない世界。
心地よいだけの世界。
考えるだけで、気が狂いそうだ。

「『運命』を自分で決められない方が、くだらないと思うけどなあ。」
あの男の言葉が、高笑いと共に頭に響く。



To be continued ….



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