彼の手


ずるい。
久しぶりに彼に会って、そう思った。
もともときれいな顔をしていたけれど、今はなんというか、色気みたいなのも
加わって、「憂いを含んだ美人」という表現がぴったりくるような感じ。
フランスの空気が、そうさせたの?
あたしも、フランスへ行けばそうなれるの?
そんなきれいな顔して何もせずに人を虜にするなんて、ずるいよ。

ずっとずっと好きだった翼君が、私を好きだと言ってくれたけど、
彼の心の半分は岬君にさらっていかれたことを、あたしは気付いていた。

名門、南葛高校サッカー部にはゴールデンウィークもくそもない。
彼女のいる子もいるだろうに、皆、真面目に部活に参加していた。
「岬君てさ−−…素敵よねぇ。」
同じマネージャーのゆかりが、肘を付きながら練習中の彼を見詰めて言った。
「何よ、今さら。」
何故かあたしは不機嫌になり、慌ててそれを取り繕うように笑って付け加えた。
「それに、いいの?そんなこと言って。石崎君に言うよ。」
「いいもん、別に。あいつにもいっつも言ってるもん。」
「あ、そ。」
あたしもゆかりの隣に座って岬君をじいっと見てみる。
かっこいい子なら、いくらでもいる。
井沢君、来杉君、森崎君だって、結構かっこいい。
けど、岬君はオーラが違うのだ。ダントツに輝いている。
「ねえ、早苗。岬君が、女の子じゃなくて良かったね。」
「はっ?」
「だって、翼君が好きになっちゃうかもしれないじゃない?」
女の子じゃなくても、好きになってるわよと、あたしは心の中で言う。

今日、あたしは特別に不機嫌なのだ。
だって今日は、5月5日。岬君のお誕生日。
今から何時間か後には、地球の裏側から大好きなあの人が岬君のことだけを
考えるのだ。

「岬君、ちょっといい?」
練習後、蛇口から出る水で豪快に顔を洗う岬君に声を掛けた。
「ああ、マネージャー。何?」
ひょい、と顔をあげた彼は、水も滴るなんとやらで一層きれいに映った。
「ちょっと渡したいものがあるの。…話もしたいし、帰り、ちょっといい?」
岬君は少し不思議そうな顔をしていたが、笑顔でいいよと言ってくれた。
誕生日に何の予定もないなんて…。
岬君、彼女いないって本当なんだなと、少し残念な気持ちになった。

「お、なんだよ二人で!翼に言うぞー。」
校門から出る時、石崎君にからかわれた。
「ふふ。せっかくのデートだから、内緒ね。」
岬君はにっこりと笑って上手にやり過ごしていた。
いちいち言葉や仕種が年齢にしては洗練されていて、あたしはとても悔しい気持ちになる。
そんな岬君は、男の子からも女の子からも一目おかれる存在だった。

あたしたちはファーストフード店に入った。
周りから見たら、カップルに見えるのかしら。
岬君て、こうして並んでみると意外と結構背が高いのよね。翼君と変わらないくらいかな。
岬君は地元でかなり有名人だから、店に入った途端、制服を着た女の子たちの羨望の
眼差しがこちらに突き刺さる。
写真撮ってもらおうよ、などとコソコソ言っている子もいる。
あなたたち呑気でいいわね、とあたしは心の中で毒づく。

「早苗ちゃんは?何にする?」
岬君はとっくに注文終えていて、あたしにも注文を促してきた。
「あ、じゃあ、ポテトSサイズとウーロン茶Sサイズで…」
「会計は一緒でいいです。」
岬君は店員にそう告げると、お金を払ってしまった。
「いいよ、岬君、悪いよ。後で…」
「いいって。デートの時は、男が払うもんだろ?」
岬君は沢山の商品が乗ったトレイを持って、さっさと窓際の席に行くと、ぼけっと
立っているあたしに笑顔で手を振ってきた。
「そんなに…食べるの?」
トレイには、あたしの頼んだのを除くとハンバーガー2つ、ポテトのLサイズ、
サラダ、Mサイズのウ−ロン茶に、おまけにアップルパイまであった。
「部活の後だしね。男はこれくらい食べるんじゃない?翼君は食べない?」
そういえばあたしと翼君は、こんな風にデートらしいことをしたことがなかった。
二人きりでファーストフード店に来たことなんか。

「で、渡したいものって何?」
ハンバーガー二つを食べ終えるとお腹が落ち着いたのか、岬君が切り出してきた。
「……これ。翼君から。岬君の誕生日に渡したいけど、住所知らないからって
あたしに送ってきたの。」
「翼君があ?」
岬君は不思議そうな顔をしながら、あたしの差し出した封筒を受け取った。
多分、厚みからしてカードか何かだろう。あたしはそこに書いてあることが気になる。
岬君が封筒から中身を取り出す。どうやら、厚紙にくるまれた写真のようだ。
一緒に手紙も入っていて、それを見た岬君はクスリと笑った。
何て書いてあるんだろう。
あたしはドキドキした。
告白の言葉があったらどうしよう。
「見る?」
そんなあたしの心を見透かしたわけではないだろうが、岬君が手紙と写真を差し出す。

それは、空の写真だった。
『この空が日本の、岬君がいるところまで続いているんだなと思いながら頑張ってます。
 誕生日おめでとう。早く一緒にサッカーしたいね。 翼より』

たった、これだけ。
あたしはもっと長い文面の手紙を貰うけれど、すごくすごく羨ましくて、何故だか
ポロポロと涙がこぼれる。
「わ、ちょっと。どしたの?どっか痛い?大丈夫?帰る?送るよ。」
岬君はびっくりしたようだけど、とても優しくあたしの肩をさすってくれる。
翼君と同じ、太陽みたいな匂いがした。
「ごめん、ごめんね、岬君。なんでもない。」
でも、この人にこんな弱味を見せるわけにはいかないのよ、あたし。
涙をぐっと堪えて、岬君の顔を真正面から見つめた。
「岬君、ずるいよ。あたしたちの何歩も先行って、一人で大人になって、
きれいになって、こうして人の気持ちをさらって。」
ずっと溜めていたことを、あたしは一方的にまくしたてた。

岬君は少し困ったように首を傾げていたが、やがて肘をついて優しく微笑みながら言った。
「僕が大人っぽく見えるとしたらね、何年も叶わぬ恋に身をやつしているからだよ。」
「岬君が…?岬君なら、誰だって…」
「そういうわけにもいかないさ。その人は、別に大事な人がいて、もっと違うところを
見てる。僕はその人の背中を見つめることしか出来ないのさ。」
あたしと同じだね、と言おうと思ったがやめた。

「岬君てさ、ずるいよね。」
練習中、あたしはゆかりに言った。
「うん、その表現ぴったり。ずるい、ずるい。かっこよくて、きれいすぎるもん。」
ゆかりも、楽しそうにサッカーをする岬君を見ながら何度も頷いていた。
あの日岬君は、あたしを家まで送ってくれて最後にこう言った。
「早苗ちゃんは早苗ちゃんだよ。」
ほんとに悔しいけれど、岬君に勝たなくちゃと躍起になっていた自分を少しだけ
解放できて、ちょっぴり楽になった。
あたしの肩に少しだけ触れた岬君のきれいな手。
あの手で、どんな風に好きな人の髪を梳いたりするのだろうか。
どんな瞳で好きな人の背中を見つめるのだろうか。

そこまで想像して、あたしははた、と気付いた。
嫌だ。翼君の「岬君病」が感染ったみたい。
さっきからあたし、岬君ばかり見てる。



Fin.




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