KISS OF LIFE



小学生の頃、岬を見ると、若林は妙に苛々した。
いつも穏やかに微笑み、誰にでも優しかった岬。
けれどそれは決して卑屈な感じじゃなかったし、ああみえて芯の強いやつだと
知っていたのに。
色々と理由を考えてみたが、若林自身、分からなかった。

15の時、その岬が突然若林を、ドイツまで訪ねてきたのだ。
この時は、不思議ととても嬉しかった。
だから若林は昔、岬を見る度に苛々したことなど、忘れていた。
それどころか、嬉しくて、楽しくて仕方なかった。
それは懐かしいという感覚とも違っていた。

しかし。
Jr.ユースに岬が合流すると聞いた時には嬉しかったはずなのに、いざ岬が来ると
また、子供の頃のように苛々した。
若林は気付いた。
苛々する時、それは、岬の横に翼の背中がある時なのだ。
思えば、子供の頃もそうだった。
いつも一緒で、ともすれば手すら繋ぐような、自分よりもずっと小さな二人の背中が
気に入らなかったのだ。
いつもは自慢だった自分の大きな身体を忌々しいと思わせる、天使のような二つの背中が憎かった。

だが今、岬よりも小柄だったはずの翼が、いつの間にか岬の背丈を少し追い越し、
広くなったその背中が、余計に若林を苛つかせた。
二人は手こそ繋がなくなったものの、その分二人の距離が縮まったように見える。
翼は子供の時と同じ目で岬をまっすぐに見つめ、岬は穏やかに微笑み返す。
けれど、ふっと翼の視線がそれた時、伏せられた岬の長い睫毛に、何か特別なものが
潜んでいることを、若林は見逃さなかった。

ある時彼は急に悟った。
そうか。これが、嫉妬というものなのか。
自分は、岬が好きなのだ、と。



*      *       *

メンバーの帰国前日、片桐氏の計らいにより、岬も皆と同じホテルに部屋をとってもらった。
談話室で、日向たちと話し込んだ後、急いで部屋へ戻ろうとすると、若林に呼び止められた。
「ちょっと、いいか?話があるんだが。」
「うん、もちろん。」
いつもの明るい笑顔で、岬は全く警戒する素振りも見せず、若林の部屋へ入った。

「お前…あいつらと…翼と一緒に、日本、帰りたい?」
若林は、彼らしく、突然本題を切り出した。
「え…?うーん。帰りたくないって言ったら、嘘になるかな。」
戸惑いつつも、笑ってそう言う岬を、若林は微笑みながら横目で見た。
「俺は、帰したくないな。」
「え?」
「俺、お前が好きなんだ。だから、少しでも近くにいたい。」
「え?なんて…」
「何度でも言うよ。俺は、お前が好きだ。…お前、気付いてたんだろ?」
若林にまっすぐ見つめられ、岬は何も言えなくなった。
気付かないふりをするのも、自分の気持ちを人に気付かれないようにするのも、得意なつもりだった。
「お前は、ずるいよ。気付かないふりして、お友達ですって顔して接して、諦めようとさせてたんだろ?
 でもな、他のやつはどうか知らんが、俺はそんなことでは、諦めない。」
しばらく睨み合ったまま沈黙が続いたが、岬が自嘲するように笑い、沈黙を破った。
「…君は、すごいね、若林くん。僕は、恐くて、とても…。」
岬が、関係を壊すのが恐くて気持ちを打ち明けられない相手。
その相手のことを思うと、若林は頭に血が昇るのを覚えた。
気付くと、岬の細い両手首を掴み、ベッドに押し倒していた。
「あいつは…翼は…気付いてないぞ、お前の…お前の気持ちなんか…!」
岬は怯えるでもなく、ただ困ったような顔をして若林を見上げている。
「ずいぶん、はっきり言うんだね。傷付くなあ。」
呑気そうな口ぶりとは裏腹に、瞳の奥の方が、悲しみに染まっていた。
それを見た若林はいたたまれない気持ちになった。
「どうして、どうして俺じゃ、いけない?」
駄々っ子のように、「どうして」を繰り返す若林の頬を、岬は優しく撫でた。
「どうしてだろうね。君は、どうして僕じゃなきゃだめなの?」
若林は、ただ首を横に振った。
好きになるのは、理屈じゃないと、自分が一番痛感していた。
けれど、自分が選ばれない理由が欲しかった。
ここで無理矢理キスをして、セックスをしてしまえば自分のものになるのじゃないか。
そのやり方を、若林は知らないわけではなかった。
天使の羽根をもぎ取ってしまえばいいと、自分の中の悪魔が囁く。

「僕、分かってるんだ。自分が、本当は翼くんに相応しい人間ではないってこと。
 彼は天使で、僕は、違う。」
若林の迷いを見透かしたかのように、岬が口を開いた。
「僕、とってもいやらしい目で見てるんだ、翼くんのこと。信じられる?あの翼くんを、だよ。」
唖然をしている若林の隙をついて、岬は身体を起こし、体勢を整えた。
「きっと君と僕は、同じ種類の人間なんだと思う。少し早く大人になってしまったよね。」
同病相哀れむといった顔で微笑む岬を見て、若林は初めて、胸のあたりが苦しくなるのを覚えた。
こんな思いさせやがってと、悔しいのか、怒っているのか、自分でもよくわからない感情が湧く。
「…おい、岬。」
「なに?」
「覚えとけよ。お前は、いつか絶対、俺を好きになる。」
一瞬の間の後、岬はけらけらと笑った。
「す、すごい自信家だね、君は。」
「俺は、欲しいものはなんでも手に入れる。知ってるだろ?」
若林の顔には、さっきまでの不安げな表情は払拭され、いつもの自信に満ちた微笑みが戻っていた。

若林には分かっていた。いつか、翼も天使ではなくなる日がくることを。
そして、岬がそれを待っていることも。

若林の部屋を出てから、岬はひとつ溜息をついて時計を見た。午後10時。
(翼くん、まだ起きてるかな…)
部屋の明かりがついていたら、ドアをノックしよう、そう意を決して自分の部屋を出た。
明かりが消えていればいいと半分思いながら。
果たして、部屋の明かりは灯いていた。

ひとつ深呼吸をして、岬はドアをノックした。





FIN.



TOP        BACK