Sick of Love


若林は意気消沈していた。
久しぶりにマイスウィートに会えて御機嫌だったというのに、どうして今、自分はひとりぼっちで
公園のベンチに座って溜息をついているのか、その理由を考えていた。
「俺、何も悪いことしてないようなぁ…」
若林にしてみれば、岬にする行為すべてが愛情から発生するもので、悪気など微塵もないのだ。

「わあ!ちょっと!なんだよ、これ!!」                              
風呂上がりにとりあえずパンツを履こうとして引き出しを漁っていた岬が珍しく大きな声を出した。    
何ごとかと思い若林は超特急で脱衣所へ飛んで行った。                        
「どうした!?みさ…」                                      
岬は下半身にタオルを巻き付けただけの格好で若林の前に立ちはだかった。               
若林としては、ちょっぴり嬉しいが、岬はまだ髪も濡れたままなので、だんだんと寒くなってくる
この時期、風邪でもひいたら、と心配である。                                 
「なんだよ、あれは。」                                      
なんだか怒っている様子の岬の指差す方向を見ると、岬の下着類の入った引き出しがひっくり返っている。 
「何言ってんだよ。あれはお前のパンツなどじゃあ…」                        
いよいよ、何をそんなに怒っているのかわからない。                         
「そーゆーこときいてるんじゃなくて、なんだよ!?これ!!」                    
そう言って岬が若林の鼻づらにつきつけたのは、一枚のパンツとタンクトップ。             
岬の怒りの理由は増々もってわからない。                              
「なあ、みさき。お前が何を怒っているのか、俺には全然わからないんだけど?」            
「なーにー!わからない!?こんなことするの、君しかいないだろ!?」                
よーく見てみると、全ての下着類に小さく
「たろ」 

と、岬の名前が黒のサインペンで書いてある。

「ああ。それなら、俺が書いた。」                                 
さも、自分が良いことをしたかのように満足そうに言った。

昨晩、岬は友達の結婚式の二次会に出席するとかで帰りが遅かった。                  
「さきに、寝てていいよ。」 
そう言って岬は出かけ、若林が風呂からあがるともう居なくなっていた。
寂しいなあと思いながら下着類を取り出そうとしたところ、間違えて岬の下着の入った引き出しを
開けてしまった。
うん、どれも見覚えあるぞと思い、ひとつひとつ見ていたら岬の不在と相まって、急に胸の辺りが
締め付けられるような、愛しいと思う気持ちが込み上げて来た。
キスする相手もいない今、この気持ちをどうやって昇華させようかと考え倦ねた挙げ句、下着の
ひとつひとつに「たろ」と書き記すことを思い付いたのである。

若林はいつも「みさき」と 呼んでいるが、「たろう」という名前も、やはり気に入っていた。
時々そう呼んでみるのだが、甘ったるい気持ちで呼ぶせいか
「君にそう呼ばれると犬扱いされたみたいでムカつくから、やめてくれる?」
と岬が言うので、普段は名前では呼ばないよう気をつけている。
呼ぶのはだめでも、書くのは良いだろう。
我ながら良い思いつきだ。俺って天才。
そう思って若林は「みさき」ではなく「たろ」と書いた。
その作業を終えた後には気持ちも少しは昇華され、本人が帰ってくるのを落ち着いて
待つことができたのだ。
その本人は帰ってくると、スーツも着替えず寝てしまったのだが。

「……やっぱり、ね。どーゆーつもりで書いたのさ。」
「どーゆーつもりって?」
「ぼくが、下着を落とすと思った?」
「ああ、それもあるな。お前、けっこうぼーっとしてるところあるから。」
「ぼくが、ありがとうと言うとでも思った?」
「お前……もしかして、それで怒ってんの?」

若林が首を傾げ、無邪気に「なんでだ?」という表情をした途端、
「ばかー!!!出てけ!反省するまで戻って来るな!」
と、いつになく激怒した岬に蹴りを見舞われ、(いくら華奢でもサッカ−選手の脚力は
しゃれにならない)若林は部屋を追い出されたのだった。



「ああ、岬、なんで、何をそんなに怒っているんだ…」
若林はひとり、公園のベンチに腰掛け一生懸命反省しようとしているが、どの点を
反省すれば良いのか皆目検討つかずにいた、

「若いの、人前で溜息をつくな。人前でうんこをするのと同じだぞ」
隣に座って本を呼んでいた老人が声を掛けてきた。
「はあ、すみません…。でも、つかずにいられません。」
「では、とりあえず話しなさい。わしも、溜息を聞かされるよりはマシだわい。」
「恋人の下着に名前を書いたら、激怒されました。」
「はぁ???それは…高い下着だったのか?」
「いえ、フツーの綿のやつで…でも、俺にとっては価値のあるものですが。」
「は、恥ずかしいことをさらりと言いよるな…」
「反省しろと言われましたが、何を反省すれば良いか、皆目検討がつきません。」
「あんたは、どういうつもりでそうしなすったのだ?」
「恋人が出かけてしまった後パンツを見たら急に胸が苦しくなって…でも、名前を書いたら
 すっきりしたのです。」
「浮気防止、とかいうわけではないのだな?」
「まさか!?俺も恋人にぞっこんですが、あいつだって俺以外が眼中にないって自信があります!」
「ほ、ほんとに恥ずかしい奴だな…。で、わしが思うに、あんたの恋人も、あんたの愛情が
 恥ずかしいのじゃないか?こんな直球勝負する奴も珍しいからの…」
「え……あ!!!」
ああ、ほんとにばかばかしかった、そう言って老人は去って行った。



「へっくし!」
くそう、若林君の物わかりが悪いから風邪ひいたじゃないか。岬はイライラしていた。
ちらりと脱衣所を見ると、自分の下着類がさっきのまま放置されている。
こんなときでもきちんとした自分が嫌だなあと思いながら、岬は片付け始めた。
ふと手を休めて、「たろ」の文字をじっと見る。
黒のサインペンも置きっぱなしである。
「若林君、こんな狭い所で大きな身体を小さくしていっこいっこ書いたのかな…」
その姿を浮かべたら、岬は、胸の辺りがきゅう、となった。
「ぼく、一体、何を怒ってたんだろう…」
若林はいつも岬の喜ぶことは何だってしてくれるし、そばにいて欲しい時にはどこにいても
すぐに飛んできてくれる。
一緒にいる時は、離れたら死ぬのか?というくらい、いつもぴったりくっついているし、
絶え間なく愛の言葉を囁いてくれる。

でもね、いつもいつもそんなに直球勝負じゃあ、僕は、戸惑うんだよ。岬は下唇を噛んだ。

「いけないけない。お腹空いてるから、こんなセンチになっちゃうんだ。」
とりあえず何かを食べようと、キッチンへ向かった。
「よし、焼そば作って食べるぞー」
キャベツをさくさく切りながら15歳の時、雑誌の記事を見かけてドイツまで会いにいったことを
思い出していた。
「若林君が焼そば食べたいなんて言うから、わざわざ日本食材の売っている店へ二人で行って、
 ぼくが作ってあげたんだよなあ。いっつもいいもの食べてるくせに、若林君、異様に喜んで
 くれたなあ。」
はっっ、いかんいかん。僕は今、ばかばやしに腹をたてていだんだっけ。
しかも、いつものくせでちゃっかり二人分作ってしまった…。
しばらく考えた後、癪なのでひとりで全てたいらげることに決めた。

ほかほかと湯気の立った焼そばは我ながら美味しそうだと思った。
TVを見ながら勢い込んで食べた。が、箸を止めて、唖然とした。
「いやだ…全然おいしくない…」
なにか分量を間違えたわけではない。いや、味自体はいつもと変わらないのだ。
なのに、ちっとも美味しいと思えない。
そして何故か、若林がいつもいるはずの空いた椅子が目につく。

どうしよう…僕、若林君がいないと、ごはんを美味しいとも思えない……

岬は、いつも、若林の愛情をちょっとうっとおしいなあと思っていた。
自分はひとりでなんだってできるのに、やたらと世話をやきたがる。
それこそ放っておいたら靴下まで履かせてくれそうな勢いである。
でも、それが嫌だったか…?そう考えると、否、という答えが出る。
なんだか気恥ずかしいけど、ちっとも嫌じゃなかった。
岬は子供の頃からしっかりせざるを得ない環境にいたから、ひとにどう甘えたら良いのか
わからなかった。
「もしかすると僕、こうやって若林君の愛情をうっとおしがって反抗してみせることで、
 すごく甘えていたのかもしれない…」
そして、そんなふうに岬が甘えられるのは若林しかいないのである。
その事実に気付いて岬は愕然とした。
「僕こそ、君がいないとだめなんだじゃないか。え−ん、わかばやしく−んんん!!」

若林は、家路を急いでいた。
あいつは、恥ずかしかったんだ。あいつは人の強い愛情を感じると恥ずかしくて
反抗してしまうんだ。
愛されることになれていないのか?
だとしたらそれは俺の責任じゃないか。
俺はあそこで、出て行けと言われて出てきちゃいけなかったんだ。
今すぐ帰って抱き締めて、大好きだと言ってやらなくては!

ばん!と若林がドアを開けると、だっだっだという音をたてて岬がこちらに走ってきた。
若林の「みさき!」という声は、すごい勢いで抱きついてきた岬の「わかばやしくん!!」
という声にかき消された。
「わかばやしくん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。ぼく、ほんとはちっとも
 嫌じゃないんだ。」
岬の勢いで、若林はしりもちをつく形になっていた。
岬はそんなことには構わずに、泣きながらごめんなさいを繰り返していた。
「よしよし、お前は、そうやって反抗期を繰り返していきながら俺の愛を分ってくれればいいよ。」
若林は、こんな岬を愛おしいなあと心から思った。
「みさき、いいことしよう。」
「それはやだ。」
やはり、だめか。
「ぼく、やきそば二人前食べたの。そしたら胸焼けがして…きもち…わ、る、い…」
「お、お前、そんなもん、大の男二人分も食うなよっ。」
「だって…癪だったんだもん…」
「お前の意地っ張りは、筋金入りだなあ」

半ば諦めながら、若林は、今日は岬の胃もたれの看病に徹しようと、とりあえず決めたのである。



Fin.



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