Never end

彼と過ごした数日間は、あまりに楽しすぎた。
僕は今、激しく後悔している。どうしてあんなに楽しんでしまったんだろう。
彼の笑顔が、声が、ふとした瞬間に触れあった指の温もりが、僕を捕らえて離さない。
会いたい、また、会いたい。
でも。今度会ったら僕らの関係は変わってしまうかもしれない。
僕の手で、変えてしまうかもしれない。
もう、あんな風に、楽しく過ごせなくなってしまうかもしれない。

僕はあの楽しかった日々以来、心に不在という重荷を持った。
「別れ」には慣れていたはずなのに、空白がこんなにも身体を重くするという事実を
僕は、今まで知らずにいた。

会いに行ったきっかけは単純だった。
ある日サッカー誌で見かけた彼の写真。
若林君、ドイツで頑張ってるんだって、すごいなあ。
この僕の一言に、会いにいったらどうだ、彼もひとりで頑張ってて日本の友達が恋しいだろう、そう、父さんが言った。
「ともだち」と呼べる程には僕らは親しくなかったけれど、「戦友」であることに違いはなかった。
僕も、日本が恋しかったのかもしれない。
本当に何気なく、彼に会いに行こうと思った。

久しぶりに会った彼は逞しく成長していてドイツ人の中でも全く見劣りすることはなかった。
そして、彼がとても楽しそうに笑うのを見て驚いた。
日本にいた頃はあまり笑顔の印象のない人だったから。きっと、育ちの良さを隠していたんだね。
若林君は僕に無いものを全て持っているんだなあと感じて少し羨ましくなった。
あんなに素敵に笑えるってことは、愛情に対して素直に育った証拠なんだ。
そしてそういう笑顔は人を魅了する。
僕も、一目で気に入ってしまった。

若林君、君は僕に優しくし過ぎたよ。君が僕に優しくしてくれる度に僕は嬉しくて俯いてしまう。
そうすると君は増々気づかって、そんな僕の顔を覗き込もうとする。
そうして目が合った瞬間、僕の心はどんなに痛かったか、君には想像できる?
この痛みの正体に気付いた時から僕は、甘い不幸を背負ってしまったんだ。

僕と君とじゃ、違い過ぎる。
君を好きになるのには僕は、ちょっと、負の要素を持ち過ぎてる。

「おいしいワインをもらったんだ。君、好きだったよね?」
ワインをもらったのは、ほんと。
でも、今の僕にとっては上等のワインも君に会う口実を作る為の道具に過ぎない。
今度君に会ったらこの気持ちを抑えておく自信はないけれど、それでも君に会いたいって想いが強かった。
電話で言った時、君があまりに快く、『楽しみにしてる』なんて言うから少し後ろめたさもあったけど。

「よく来たな!あがれよ」
彼の部屋訪ねた僕を、あの、会心の笑顔で出迎えてくれる。
開けたドアを支える若林君の腕が僕の鼻先を掠めると、彼の香りを捕らえてしまう。僕の心を揺さぶる香り。
彼の胸元に顔を押し付けてこの匂いを僕の鼻に記憶させられたら、どんなに素敵だろう。

「じゃ、とりあえず乾杯」
何にかはよく分からないけど、グラスをならして乾杯を交わした。
チーズの盛り合わせやあさりの酒蒸しなど、ワインに合う料理を揃え、僕らは「ともだち」らしく色々語り合い、
楽しい時間を過ごした。
時々会話が途切れて目と目が合った時、僕の気持ちが見透かされやしないかと緊張して手のひらにうっすら汗をかいたりした。

若林君のグラスが空いていたので僕はボトルに手を伸ばした。
その時、同時にボトルに手を伸ばしていた彼の指と触れあった。僕のグラスも、空いていたのだ。

しまった

もしかしたらほんの一瞬だったのかもしれないけど、僕にとっては長く感じられて、慌てて手を引っ込めた。
しかし、慌てるとロクなことがない。
ボトルは無惨にもフローリングの床に落ちた。幸い割れなかったけれどワインが流れ出て香りが部屋中に広がった。
気まずさを感じて僕は床に座りこんで流れたワインを拭こうとした。
若林君が、僕を見つめているのが分かる。そうだよね、気付くよね。やっぱり会いに来るんじゃなかった。
「みさき」
「ごめん、ごめんね、若林君。床濡らしちゃった」
「みさき」
若林君も、椅子を降りて床に座り込む。お願い、僕を見ないで。僕は今、泣きそうです。
「ごめん、ごめん、ほんとにごめん。」
「みさき。そんなのいいから、こっちを見ろ。」
若林君の大きな手が僕の顔を包み、前を向かされた。
「悪い。もう、我慢できない」
この言葉の意味を理解しきる前に若林君の顔が近付いて来て、彼は、僕にキスをした。
何度も何度も口付けてきた。
僕は、状況は把握できていなかったが、身体が熱くなってくるのだけは感じていた。

二人の体温が上昇していくにつれてワインは蒸発し、その香りが僕の鼻をくすぐり、酔わせる。
若林君が僕を優しく、押し倒す。
もしかすると彼も僕に恋していたのかもしれないと感じて僕は今日、初めて彼の顔をまともに見ることができた。
すると、どうだろう。
押し倒されているのは僕なのに、傷付いたような表情を浮かべているのは若林君の方だった。
「ごめん、岬。こんな、ワインの香りにまかせて…。俺、最低だ。」
でも、どうしようもないんだ。と彼は小さく唸るように呟いた。

この前お前が来てくれた時、すごくすごく嬉しかったんだ。
お前が帰ってからの空白は重く、苦しく、俺に激しく後悔させた。
何故、抱き締めてキスして好きだと言わなかったかと。
お前も、悪いんだ。
きれいな顔で、声で、俺の名を何度も呼んだりして。
また会いに来てくれたりして俺に期待させて。
それでも俺は最低だ。だってお前は俺を「ともだち」と慕ってくれているのに、それに便乗しているみたいで。
けど、もう、我慢できない。
だから、拒絶するなら、してほしい。もう会いたくないって言って欲しい。

若林君は切れ切れにそう言った。とても、とても苦しそうに。
ああ、彼は知らないんだ。僕が、彼に恋しているということを。伝えてあげなくちゃ。
言葉よりももっと多くを語るであろう僕の手で、彼の背中を、抱き締めた。
「もっと近くに来てくれないとワインの香りで、君の香りだ分からない。」
若林君はちょっと驚いた顔をしたけれど、僕を押し倒したまま優しくキスをした。
「けど、僕は君には相応しくないかもしれない」
「どうして?」
「だって、僕は、いつも、終わりを感じてしまうから。誰かを好きになると、突然失うことが恐くて、
いつも終わりを予感しながらじゃないと人と関われないから。君みたいに、素直に好きになれないから。」
若林君は、僕の額にキスして、こう言った。
「大丈夫。俺とお前に終わりはないって、思わせてやるから。」

嬉しかった。僕はずっと、誰かにそう言って欲しかった。

「うん、君となら終わらせたくないって思えるかもしれない。」
「思うようになるさ。」

若林君の腕が僕を解放する頃には二人の関係は今までとは全く違うものになっているだろう。
それが心地よいものとなるか、今まで以上に切ないものになるかは、わからない。

でも、彼は僕を、僕は彼を手に入れることを望んだ。それで充分だろう。

部屋には西日が射し、確かにワインの香りが充満しているはずなのに僕の嗅覚は今。彼の香りしか感じられなくなっていた。

Fin


これは数年前に『Love unlimited』という源岬作品投稿型サイト様(現在は閉鎖されています)に投稿させていただいた作品です。

読んでいただくとお分かりになると思いますが、私の岬君はちょっとひねくれてます(^^;)源岬においては、世の中をちょっと斜に構えてみている岬君が、育ちの良い若林君によって変わっていく…というのを理想にしています…。

気に入っていただけたら、BBSやメールで感想を下さると管理人、増々ヤル気が出ます。

お願いしますm(_ _)m

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