子犬のワルツ

子犬に似ている。
小学6年の夏、よみうりランドで初めて彼に会った時、そう思った。
その思いは、15になった今も変わらない。

秋も深まり、冷たい風が吹くようになっていたけれど、ここ静岡は東京よりもずいぶんと暖かく感じられた。
数メートル先を、僕の『子犬ちゃん』が縁石の上をバランスをとりながら歩いている。
子供じみたところのある彼だから、『下に落ちたら海』なんてルールを作って遊んでいるかもしれない。

「つーばーさーくん。つばさ。つ・ば・さ」
不意に顔を見たくなって彼の名前を連呼してみる。何よりも甘美な響きを持つ彼の名前を。
案の定、不機嫌そうな顔をして『子犬ちゃん』が振り向く。
「なんだよっ。1回呼べばわかるよっ。犬みたいに呼ばないでくれる?」
文句を言いながらこちらへ歩いてくる。
近付いてくる彼に手を伸ばし、抱き寄せ、ふくれっ面の唇にキスをする。
『子犬ちゃん』は力を抜き、僕の胸の中に沈んでくる。

「ねぇ、三杉君」
そう言って見上げる彼の瞳は黒目がちで、ますます僕に子犬を連想させる。
「君、医大の付属受けるんでしょ?大事な時期に俺のところなんかに来ていいの?」
「離れてる時間が長い方が、君のことばかり考えてしまって集中できないから
いっそのこと時間作って会いに来て、抱き締めてキスしてしまった方がいいんだよ。」
「ふ〜ん」
恥ずかしいのか嬉しいのか、翼君はまた僕の胸に顔を押し付けた。

春になったら彼は遠い異国の地へ行ってしまう。
彼は、僕らのヒーローであり希望であるから、誇らしいことなのだが、僕は内心寂しさも感じている。
絶対、口にはしないけれど。
今、こうして腕の中にいることが愛しくて切なくて、抱き締める手に力を込める。
「ちょっと苦しいよー」
無邪気な『子犬ちゃん』は少しむずがり、僕の腕からするりと逃げた。

彼の後ろ姿に向かって言う。
「翼君、好き。好きだよ。一番、好き。愛してる。」
また少し不機嫌そうな顔をした『子犬ちゃん』が近付いて来て、こう言った。
「三杉君、すぐに好きとか愛してるとか、軽々しく口にしすぎだよ。……なんか、嘘っぽいよ」
下唇を噛み締め、俯きながら。

本気で言われたら、困るくせに。

「ふふ。ごめんね、翼君。気持ちを小出しにしていかないと、おかしくなっちゃいそうだからさ。」
いつもの余裕たっぷりの笑顔で返す僕。
ねぇ、知ってる?
僕は君といる時、本当はいつも、心の中で泣いたりおおはしゃぎしたりしているんだよ。
とても『三杉淳』らしくないんだ。
今でも、こんな自分に戸惑うことがある。

「俺、ブラジル行くの本当に本当に楽しみだけど…君と離れるのだけは辛い」
隣へ来て、コートのポケットに手を突っ込んで僕の手をそっと握りながら翼君は言う。
僕だってそうだ。
でも、口に出しちゃいけない。
口に出したら手放せなくなってしまうから。
「ねぇ、翼君、子犬はね、どんなに可愛くっても構い過ぎちゃいけないんだよ。」
「????」
僕の泣きそうな気持ちなんか知らない翼君は、何を言ってるか分からないといった表情で曖昧に微笑んだ。

君に恋をしてからの僕は、口に出来たらどんなにか楽になれそうな気持ちを、いつも抱えている。

桜の時期を待たずして旅立ってしまう君を困らせたくないから、子犬のような後ろ姿の君に
聞こえないように心の中だけで、ありったけの真心を込めて叫ぶよ。

「愛してる。ずっと、そばにいて欲しい。」

Fin.





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