センチメンタル

「じゃあ、若林君、ありがとう。もう大丈夫だから。とっても楽しかった。またね。」

岬は美しい笑顔でそう言うと、改札を抜け、パリ行きの列車に乗った。
別れの時、あいつの目に俺はどう映っているのだろうか。随分と情けない顔かもしれない。
岬は寂しさを、笑顔という美しい仮面の下に隠せるが、残念ながら俺はそんな美しい仮面を持っていない。
いつものごとく、あいつは絶対振り返らない。
どんどん岬の背中が小さくなり、人込みに紛れていく。
けれど俺は、岬の姿だけは、すぐ目に捕らえることができるのだ。
岬の背中だけ、白く発光しているように見える。
完全に姿が隠れてしまっても、しばらくその光だけが残り、俺はその光が消えるまでいつもそこに立ち尽くしている。
その光が消え、俺は岬の匂いのしみついたマフラーをぎゅっと巻き直してもと来た道を戻る。
このマフラーは、もともと岬のものだった。

「いいな、それ。」
今回、俺の部屋に来た岬は、深いグリーンに、金色のごく細いラインが数本入ったマフラーをしていた。
それがとても岬に似合っていた為に出た言葉だったが、岬は勘違いしたらしく、少し考えた後、マフラーを外すと俺の首に巻いた。
「いいよ、あげる。お気に入りだったけど、おみやげ何も無いし。大事にしろよっ。」
可愛らしい笑顔でそう言う岬に、いや、違うんだ…と言いかけた時、マフラーからふわりと、岬の匂いがした。
それで、やっぱりもらっておこうと思った。

あいつは、目に見えないものを大切にしている。
そんな岬から俺は、色々教えられた。風の匂い、空気の色、二人で落ち葉を踏み締める音の切なさ。
黙って二人で歩いているだけで、どうしてあんなに切ない気持ちになるのだろうか。
俺は岬を好きで、岬は俺を好きで、一緒にいるというのに。
「好き」。
この一言で表すにはあまりに想いが深すぎて、それを伝えるべき言葉を探すのだが、今だに見つけられないでいる。
そう言った俺に、岬は小さく笑いながら言った。
「言葉にできない深いところまで、いつか、一緒にいけたらいいね。」

岬と歩いてきた道を一人戻りながら俺は、あいつと過ごしたほんの短い期間のことをあれこれ思い出す。
もう、顔を見なくても目を閉じれば、岬の瞳から爪の形まで、頭の中に鮮やかに蘇る。
けれど、どんなに頑張ってみても、抱き締めた時の温もり、指の柔らかさ、髪のひんやりとした感触だけは、ぼんやりとしか思い描けないのだ。
マフラーからは岬の残り香。また、どうしても会いたくなる。けれど、もう、あいつはパリ行きの列車に揺られている頃だろう。
あいつも今、俺と同じように思っているのだろうか。
「同じはずなのにね、行きと帰りでは、列車の中で見る景色が全然違う気がするんだ。不思議だね。」
そう言って笑った岬も今、俺と同じような、甘く切ない気持ちを感じているのだろうか。

次会った時には、俺が、どんなに会いたかったかを思いきり語ってやろう。
それまでに、また、言葉を探しておかなくてはいけない。

時々、こうしてセンチメンタルな気分に浸るのも、悪くない。

Fin.

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