西瓜




ある日の夕食後、母が今年初めての西瓜を出した。
「いただいたのよ。少し早めだけど、美味しいでしょう?」
実は、西瓜は小さな頃からさして好きではなかった。
青臭くて、なんだか昆虫になったような気分になるのだ。
けれど、僕が美味しそうに西瓜を食べると、父と母が嬉しそうに目を細めるので
僕もそれが嬉しくて、西瓜を好きなふりをしてきた。

丁寧に種を取られ、食べやすく一口大に切られ、きれいな器に盛られた西瓜。
フォークにさして、滴る汁をこぼさぬように注意しながら僕は、お行儀よく食べる。
口に入れると、案の定、青臭さが口一杯に広がる。
けれど、何故か今年の僕はそれを嫌だとは思わなかった。
むしろ、もっと味わっていたいと思った。
「うん、美味しい。」
西瓜を食べて、はじめて僕は心からそう言った。
僕は、青臭さを味わいながら、遠く北海道に住む彼の事を思い出していた。

去年の夏、彼の地の短い夏を一緒に過ごした。

彼は、お姉さんが切ってくれた西瓜にテラスで豪快にむしゃぶりつき、種をぷぷっと
そのまま口から庭に放り出した。
「西瓜ってのは、こうやって食うもんだ。」
そう言って、にかっと笑った彼の唇の周りには、薄赤い液体が滴っていた。
西瓜が好きではない僕は食するのは辞退したのだが、その液体は美味しそうだなあと
思った。

だから、それを舌でぬぐってみた。

思った通り、松山の体温で温くなったその西瓜の汁は、少し青臭いけれど甘くて、
僕の全身を溶かしてしまいそうなほどに美味しかった。
松山は、と言うとまるで西瓜の液体に染められてしまったかのように真っ赤になり
固まっていた。
「……お前、自分が、何したかわかってんのか?」
「…怒ってるのかい?」
「怒ってるよ。そうやって、気紛れに人を期待させるなよ。好きでもない奴に、
 そんなことするな。そういうのは、残酷って言うんだぞ。」
僕の前ではいつも太陽のように笑っていた松山が、その時はとてもつらそうな顔を
していた。

彼を傷つけた?
そう思った僕は、久しぶりに胸がきゅうに苦しくなるのを覚えて、その場にうずくまった。

「おい!?大丈夫か!?」
もちろん彼は僕の心臓の事を心配していたのだが、そんな痛みとは全然違った。
もっと奥の方が、何者かにぎゅう、と掴まれるような、切なくて甘い痛みだった。
それが恋だということは、東京に戻って随分経ってから気付いた。

僕は、まだ、彼に好きだと言ってない。言えてない。

急に焦りを感じた僕は、きれいに配膳された西瓜たちを放り出して席を立った。
「もしもし?松山?僕。」
『ん…?ああ、三杉?珍しいな、お前から…』
「明日僕、そっち行くから。」
『ああ!?明日!?』
「うん、一緒に、西瓜を食べよう。」
『何言ってんだ、お前。こっちはまだ西瓜食べるような気候じゃねーぞ。』
「いいんだ、君と食べたいんだ。僕、持って行くから。」
『相変わらずわけわかんねーな。…いいよ、着いたら電話しろよ。』
「うん。昼過ぎには着くから。」

明日から、僕の人生は変わる。
欲しいと思ったものを、手に入れるのだ。

食卓に戻ると、母は少し驚いたような顔をしていた。
「ねえ、母さん。今度から、西瓜の種は取らなくていいよ。あと、切るのももっと大雑把でいいよ。」
「何よ、急に。…食べにくいじゃない。」
「いいんだよ、西瓜ってのは、そうやって食べるものなんだから。」
母は、困ったように首を傾げていた。
そういう、母の少女らしい仕種を可愛らしいなあと、僕は思う。

母さんは知らないのだろうか、忘れてしまったのだろうか。

不便な方が、素敵なこともあるって事を。



Fin.



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