野蛮な恋


「岬太郎です、よろしく。」

教壇の上でにこやかに挨拶をする岬を見て翼は、夢を見ているのではないかと思った。
そして、夢ならずっと覚めないで欲しい、と。

思わぬ有名人の転校にクラス中が湧く中、岬はゆっくりと翼の席へ近付いてきた。
岬が、自分と同じ詰襟の制服を着て、柔らかに微笑んでいる。
「翼くん、よろしくね。」
教師の計らいか、翼の隣の席が岬にあてがわれた。
一番後列の、窓際の席。
「み……岬くん、だよね?ほんとに。」
窓から差し込む、柔らかな朝日に茶色の髪が透けて見え、岬をより一層美しく見せる。
「ほんとだよ。君のパートナーの、岬太郎だよ。」
嬉しさに目眩を覚えながら翼は、授業を始める教師の声に従い、慌てて教科書を取り出した。

「ねえ、見せてくれる?僕、まだ教科書揃ってないんだ。」
岬は、そう小声で言うと、自分の机を翼の机にくっつけた。
近付いた時、岬らしい、清潔感のある匂いがして、翼は頬に熱を帯びるのを感じた。
何故だろう?

思えば、こんなに穏やかな場面で岬を間近で見たのは初めてと言っても良かった。
教壇では教師が一生懸命、日本の政治体制についての説明をしている。
もちろん翼はそんなものは上の空で、岬の方ばかり意識していたが、岬はと言えば
肘をつき、つまらなさそうにずっと窓の外を見ていた。
「………じゃあ、次からを、転校生の岬に読んでもらおうかな。」
教師が岬をあてたので、翼は少し慌てて岬の肩を突いた。
「どこ読めって?」
岬がそう囁きながら、ぐっと翼に近付いた。
さらさらの茶色がかった髪が鼻先を掠め、翼はどきまぎしながら該当の箇所を指した。
岬は、美しくよく通る声で、一度も閊えずに読んだ。
ふと翼が周りを見ると、女子生徒達がうっとりとした表情で岬を見ているので、思わず
吹き出しそうになった。
ついさっきまで、自分も同じような顔で岬を見ていたのだが。
「ありがと、翼くん。」
再び席に着いた岬から、笑顔でそう言われた時、翼は今までにはないような感じを覚えた。
胸の奥が、ぐーっと苦しくなるような、居心地の悪い、けれど甘やかな気持ちを。

エッフェル塔の下で、再会した時からずっと感じていた、この想い。

さよならも告げずに翼のもとから去ろうとした岬を恨めしく思った、幼かった自分を
すっかり忘れていた。

「翼くん、今日、君んち行っても良い?お母さんに会いたいし、二人で
ゆっくり話したいし。日本の学校のこととか、色々教えてくれない?」
放課後、帰り支度をしながら岬は翼に訊いた。
もちろん、翼にそれを断る理由は、ない。

家までの行きすがら、ただただ嬉しくて楽しくて、翼はひたすら話し続けた。
今までのこと、これからのこと。
岬はいつものように微笑んで、話を聞いてくれた。

家へ帰ると、翼の母は外出していた。
「ごめん、母さんいないみたい。」
「いいよ、気にしないで。いつでも会えるだろうし。」
「とりあえず、俺の部屋入って。何か飲み物持ってく。」
そう言われて入った翼の部屋は、相変わらずきちんと整頓され、サッカー一色だった。
それが可笑しくて、岬はクスクスと笑った。
「何笑ってんの?」
気付くと、翼がお盆にジュースの入ったグラスを二つ持って、背後に立っていた。
「ああ、変わってないなあーって思って。」
「ふん、悪かったね。」
翼が拗ねたので、岬は慌てて付け加えた。
「嬉しいなって、意味でだよ。…僕みたいに、ひとつのところに長いこといられないと、
こうやって、変わらない場所があるってことが、とっても嬉しかったりするんだ。」
「…そっか…。今回は、しばらくいるの?」
「うん、多分ね。」
「俺は、卒業したら…」
「うん、知ってるよ。良かったね。おめでとう。」
岬は、本当に嬉しそうに笑った。

窓から差し込む、真っ赤な夕日が岬を照らす。
ふ、と翼は話すのを止めると、じぃっと岬の目を覗き込んだ。
「岬くんて、目、茶色いね!」
翼が子犬のような目で真剣にそう言うので、岬は思わず吹き出してしまった。
「そう?茶色い?…あのね、翼くん。」
「なに?」
「茶色い目の人って、すっごく嘘つきなんだって。気をつけてね。」
「岬くんも、嘘つき?」
「うん、すっごく。」
「じゃ、今のも?」
「今の?」
「『良かったね』って。」
「ああ、…半分ほんとで、半分嘘。」
翼の表情が少し曇ったので、岬は少し翼に近付いた。

「ねえ、翼くんってさ、お日さまの匂いがするね。」
そう言いながら、岬は翼の髪に顔を埋め、くんくんと子犬のように匂いを嗅いだ。
「なんだよ、岬くん、くすぐったいよー。」
そう文句を言いながらも、翼は嬉しそうに笑う。
「それに、案外、髪も柔らかいんだ。」
そう言うと、岬は、湿度を帯びた吐息を翼の髪にゆっくりと吹きかけた。
翼は身を固くして何も言えなかったが、決して嫌な感じではなかった。
「ねえ、翼くん、少し、ぎゅってしても、いい?」
「え?なんで?」
「もっと、お日さまの匂いを嗅ぎたいから。おいで。」
両手を広げてにっこり微笑む岬を見て、吸い込まれるように翼はその中に納まった。
「嬉しい…。僕、君のこと、ずっと好きだった…。」
岬はそう言うと、翼を抱き締める腕に力をこめた。
岬の鼓動は早かったが、それ以上に自分の鼓動の方がずっとずっと早くて大きい気が、
翼には、した。
「俺…男、だよ…。」
「わかってるよ。僕、おかしいんだ、きっと。」
「……。」
「君のこと、好きで好きで溜まらない。」
翼は、なんだか、自分の身体が妙にふわふわとして、掴みどころがなくなったような、
自分のものじゃなくなったような気分になっていた。
とても居心地が悪く、それでいてずっと浸かっていたいような気分。
「俺…岬くんと近くにいると、とっても居心地が悪いんだ…。」
「それはね」
岬は、少し身体を離して、まっすぐ翼を見つめて続けた。
「君も、僕を好きってことだよ。」
岬の鼻先と唇が翼の耳に触れた時、翼は溜まらず、小さく声を漏らした。
恥ずかしさに岬を少し押しやり、翼は自分の口元を抑えた。
岬は、柔らかく…けれどいつもよりずっと意地悪そうに、魅力的に微笑んでいる。
「つばさくん」
そう言いながらゆっくり近付くと、もう一度、翼の耳たぶを軽く噛んだ。

「柔らかくて、おいしい。」

そう言いながら何度も、何度も優しく噛む。
いつしか二人はベッドの上に横たわっていた。
岬は、翼の耳への愛撫を止めない。
「みさきくん…だめだよ…。なんか、変な…感じ…」
「へんって?どんな?嫌な感じ?」
翼は、それに対して首を横に振って答えるのが精一杯だった。
全身が心地よく痺れて、いつもの部屋もまるで違う空間に見える。
昼間、教室ではあんなに清潔に感じた岬の匂いも、この世で一番官能的で
心だけでなく、身体まで狂わせるものに感じる。
「へんって…ここのこと?」
そう言いながら、岬は翼の制服ズボンのファスナーを下ろし、中にするりと、
指を滑り込ませた。
思わず声をあげそうになるが、翼は、溜息でそれを誤魔化した。
「全然、へんじゃないよ…」
岬の悪戯な指は増々調子にのり、直接、翼の肌に触れ、弄び始めた。

翼は、時おり声が漏れるのを、もう防げなくなっていた。
抗うことのできない快感の波に呑まれていく。
岬を、悪魔だと、思った。
「もっと、良いことしてあげようか?」
翼はその問いに対し何も返事をしなかったが、紅潮した頬と、潤んだ、
懇願するような瞳がそれを受け入れることを表している。

大好きだから、したい。
若い二人に、それ以上の理屈は必要なかった。
この、野蛮なまでに相手を恋しいと思う気持ちを伝える術は、他にはないと思っていた。

今や岬の指先によって形を変えきった翼のそれを、岬は、そっと口に含んだ。
そして、傷つけないよう、舌で、大切に、優しく愛撫した。
岬自身に、全く抵抗は無かった。
翼への恋心を意識した時からずっとそうしたかったし、そうするのが自然だと思っていた。
今、自分と翼は、あるべき姿にあるのだ。
翼は小さく声を漏らしたが、すぐ傍らの枕を引き寄せ、自らの声を押し殺そうとした。
「ねえ、声、出していいよ。お母さん、いないんでしょ?」
でも、恥ずかしいよ。翼の瞳が、そう語っている。
岬には、翼の言いたいことなら、瞳を見ればなんでも分るのだ。

「聞かせてよ。聞きたい。翼くんの、やらしい声。」

岬は、ずっと翼を王様だと思っていた。太陽だと思っていた。
眩しすぎて、決して手を触れることのできない存在。
けれど、今その翼を、自分の舌の動き一つで支配しているのだ。

もっともっと、自らの手で辱めたい。

夢なら覚めないで、そう強く願いながら、岬は翼を、味わい尽くそうとしていた。



fin.