火傷
声に温度があるのだということを、俺は、彼と寝て初めて知った。
彼は普段、美しい曖昧な微笑みを浮かべて、誰でも受け入れそうでいて、その実全ての人間を拒絶しているようにも見えた。
絶対自分のものにならない。
これほど、人を執着させるものがあるだろうか。
俺は、まんまと彼の微笑みに捕まってしまった。
ベッドに行く前、彼は必ずと言っていいほど恥じらいを見せる。
けれどその恥じらいは、俺にとっては彼への欲情を煽るものでしかない。彼はそれを知っているのだろうか。
俺は、彼を抱く手で、家に帰れば妻を抱く。罪悪感は、ない。もともと俺には倫理観なんてものが欠けてるのかもしれない。
俺は、自分の生活の大部分は妻の為に費やしているが、心の大部分は彼の為に費やしている。
彼はそんな俺を時々言葉でたしなめる。けれど、それは本心ではないはずだ。
だって、彼にももともと倫理観なんて、ちゃちなものはないはずだから。
利口な彼は常識人ぶっているけれど、本当の常識人なら、あんなに激しく俺を求めたりしないだろう。
だからこそ俺は、彼にどうしようもなく惹かれる。
俺の妻は、美しい心を持っている。単純で明るくて、全てが光の方向へ向かっている。
けれど、どうして人は、そうでないものにとてつもない魅力を感じてしまうのだろう。
彼は、「微笑み」という鎧の下に激しさ、どうしようもない孤独感、それに対する苦しみ、遠くへと繋がる想いを隠していた。
それらがふとした隙にちょっぴりはみ出して、それに気付いた俺は彼の微笑みの鎧を乱暴に引き剥がして露にしたくなったのだ。
俺と同じだ、と思ったから。
抱き合う時、彼はよく喋る。自分のこと、俺のこと、甘い愛の囁き。
それらはねっとりと俺にまとわりつき、我を失わせる。
「つばさくん」
彼はいつも、そう、俺を呼ぶ。けれど、どうしてベッドの中だけではこんなに熱っぽく発せられるのか。
彼を抱いているのは俺なのに、いつも俺は彼の声に抱かれた気になる。
恍惚の時間の後、俺の身体を見ると小さな赤い染みが残っていることがあった。
彼の声で、やけどした。
はじめ、俺はそう思った。
なんてことはない、それは彼が俺に残したキスの痕なのだが。
「ごめん。つけちゃった。奥さんに叱られるかな?」
彼は、夢中でそうしてしまったのだと言い、本当に申し訳なさそうに気にしていた。
さっきまであんなに淫らだったというのに、この清清しさ、美しさはなんだろう。愛おしさを抑えられず、俺はまた彼を自分の下に組み伏せる。
「いい。いつも電気消してしかしないから。もっとつけてよ。」
彼は俺のことを困った人だ、というように笑い、柔らかく口付け、細くしなやかな指で俺の頬を撫でる。
彼の指一本の熱で、俺の中で沈静したはずの欲望がふつふつを沸き上がるのを感じる。
あの生暖かい声に浸り、自堕落な日常を送りたいと思ってしまうことがある。
けれど、彼が絶対それを許さないだろう。
彼は俺を愛しているといいながら、絶対俺のものにはならないのだ。誰のものにもならないのだ。
「生暖かい夢はね、時々見るから心地良いんだよ。」
彼は、生温いきれいな声でそう、言った。
Fin.
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