Innocent World

Jr.ユース準決勝前夜。

「じゃあ、明日はいよいよ準決勝。地元フランスに負けないよう、ベストを尽くそう。」
作戦会議後、三杉はいつもと同じような一言で締めた。
「なーんか、ほんといよいよだよなー」
「うずうずするよなー。」
会議室から退室するメンバーからもいつもと同じような言葉が聞こえる。

部屋に戻った三杉は明日の試合に備え、何度も確認してきたフォーメーション、作戦、相手の動きをまとめた資料に目を通そうと、机に座り、ファイルを開いた。

自然と、口から笑みがこぼれてしまう。

今日、監督である三上から言われたのだ。
明日の試合、君を使うことになるだろう、と。
今大会で公式戦に出られるということがとにかく嬉しかった。世界中の強豪と同じピッチに立てるのだ。
「あのメンバー全員が味方なんて、心強いな」
そんな独り言さえ漏らしてしまう。

その時、三杉は、ふと違和感を持った。

昨日も、同じことを思っていなかったか−−−−?

昨日も僕は、「明日、試合に出られるかもしれない」と、ワクワクしていなかったか?
監督から今日より前に僕を試合で選手として使うなんて、聞いたことはないはず。
では、何故−−−−?
思えば、一昨日も試合に出られる可能性を知って浮かれていなかったか?
昨日も一昨日も、同じ独り言を言ったような気がする。
また、ミーティングでもまったく同じ言葉を言った気がする。

「そーゆーの、デ・ジャヴって言うんだぜ。」
松山に意見を訊くと、そう、笑いながら返された。
「それは知ってるけど−−−。なんか。何かおかしいんだ。すごく違和感感じる。」
「俺は、なんにも思わねぇけどなー。」
相談した相手が悪かったか……と三杉が諦めかけた時
「おい、三杉。実は俺も……」
そう言って、若島津が三杉の横に座った。

「ここ数日、違和感感じてるんだ。」
若島津が言うには、こうである。
今朝、食堂で朝食をとっている時、日向から「しょうゆとってくれ」と言われた。
若島津がしょうゆの瓶を日向に手渡そうとした時、二人のタイミングが合わず、瓶は床に落ち、割れた。
違和感を持ったのは、この時だったという。
「瓶の割れる音聞いて、『昨日も一昨日もなかったか?』って疑問持ったんだ。でも、俺一人がそう感じてると思ってたから誰にも言わなかった。」
「でも」三杉が続ける。
「二人が同じこと思ってたとしたら、調べる余地はありそうだね。」

「同じことを繰り返してる気がしてる奴??」
突然、部屋や談話室で各自休憩していたメンバーが会議室に召集され、三杉と若島津から『繰り返してる気がしている者はいないか?』と訊かれた。
しかし、皆鈍いのか、そうかあ?等と言い、のんきなものである。

「あ!!!」翼が突然大きな声を出した。
「俺、実は……フランス人の女の子から、ファンですって手紙もらったんだよね?」
おそらく、翻訳を頼んだのだろう、岬に相づちを求めた。岬は黙って頷いた。
「で、フランス語なんて読めないから岬君に聞きに行ったんだけどさ、開封してみると、何故か、読めちゃうんだよね、フランス語。」
「うん。正確には、単語はわかんないんだけど、翼君、書いてある内容、把握してたよね?」
岬が付け足した。
「それってつまり、手紙をもらう、岬君に翻訳してもらうっていう動作を繰り返してるってことにならないかな?」
三杉のこの言葉に、若島津は頷き、翼も「そうとしか説明つかないよね…」と言っている。

「がーーーーー!なんだよっ。俺は全然そんな気、しねぇぞ!!お前ら、大丈夫か!?」
日向が、この煮詰まった空気に耐えかねたのか、立ち上がり、大声を出した。
「おーい、お前ら、三上さんの居場所知らねえか?どこ探してもいないし、それどころか俺達以外の人間が見当たらないんだけど…」
若林がそう言いながら部屋に入って来た。
「誰も、いない?」
三杉と若島津が顔を見合わせた。
「おっかしいなー。この部屋にもいないのかよ…。」
おそらく、このホテル中を探し回ったのだろう。若林は頭を掻き、困った様子だった。

すると、突然若島津が走り出し、ホテルから出て行った。
15分ほど後、若島津は息を切らして部屋に戻って来た。
「このホテル周辺を取り残して、そこから外側が、なくなってる……」
「なんだとぉ!?フザけるのもいい加減にしろ!」
「じゃあ、日向さん、あんた、自分の目で見てくればいい!」
そう言われた日向が走り出すと同時に、他のメンバーも外へ出た。

「うそだろ……」
「今日の昼までは確かにここから先があったのに…」
若島津の言ったことは、本当だった。ホテルの周囲−−−1kmくらいだろうか−−−を取り残し、周りは一切の闇。
しかし、空を見上げると月は出ている。きれいな満月だった。
「これは……悪い、夢だ……。」
日向はそう呟くと、その場に座り込んだ。
「そうかも、しれないね。全員が同じ、悪い夢を見ているのかもしれない。」
三杉の言葉が、闇に響いた。

「あれ、練習用グランドはちゃんとあるんだ。」
翼が東の方向を指して言った。
「サッカーはできるんだね。」
岬がそれに続いた。
「お前ら、やけに冷静だな…。」
松山が呆れたように翼と岬に言った。
二人は「うーん。びっくりはしてるよー。」と言いながら双児のように、にっこりと微笑んだ。

不思議なことに、朝は来た。朝日が上り、鳥のさえずる声もきこえてきた。
夢なら、寝て起きれば覚めるだろうという若林の提案に、皆、それもそうだと寝付いたのだった。
しかし−−−朝は来ても、あきらかにそれまでとは違った。
ホテル内には相変わらず、彼等以外、誰もいないのである。
仕方なしに、料理のできる日向や岬が中心となって豊富に食材のある厨房で朝食を作り、皆、朝食をとった。
「サッカーやろ!」
朝食をとると、翼がいつものように言った。
そんな場合じゃない気がしつつも、他に何をすれば良いか分からないメンバーは、それに従った。

「あいつらは鈍いのか?バカなのか?」
日向が、いつもと変わらぬ様子でサッカーをしたりじゃれたりする翼と岬を見て言った。
「タフなんだろ。」
三杉が応えた。
「それか、あいつらの夢なんだったりして。」
「反町?今、何て−−−」
「あれ?日向さん、そう思いませんでした?」
「どういうことだよ?」
「考えてみて下さいよ。この世界、俺達にはすごく都合が良いでしょ?ホテル周辺はなくなっちゃったけど、食べ物はたくさんある、電気や水道もちゃーんと通ってる。口うるさい大人はいないからやりたい放題だし。サッカーはできるし。皆と楽しくサッカーして毎日過ごしたいって考えてる奴の、夢の中の世界みたいだなって思いません?」
だとしたら、俺はカンベンて感じなんですけどね−−と反町は笑った。

しかし、それを聞いた日向は顔色を変え、翼の元に走り寄り、いきなり胸ぐらを掴んだ。
「お前…!」
「なんだよっ、いきなり。」
さすがに翼もムっとしている。
「おい、日向。皆だって戸惑ってんだ。八つ当たりはよせ。」
若林が日向の腕を掴んだ。
「うるせえ!翼、お前、ずっとこのままで…とか思ってんじゃねえだろうなあ!?」
「おい、日向。いい加減に…」
「俺だって……」
翼が日向の腕を払い、下から睨み付けて言った。
「俺だって、こんなの嫌だよ!決勝戦までいって、早く皆で優勝したいって思ってるよ!こんなとこで終わりたくないって思ってるよ!」
「じゃあ、岬、お前か…?」
日向の怒りの矛先が岬に向かった。
「お前、やっと翼とまたコンビ組めたんだもんな。この大会終わったらまた離れ離れだもんな。ずっとこんな世界にいられたら、お前にとってはいいよな。」
「そうだね」
日向の勝手な言い分を黙って聞いていた岬が口を開いた。
「いつも友達と別れなくちゃいけない僕にとっては夢のような世界だよね。」
「やっぱり…お前…!」
「でも、僕じゃないよ。僕は−−−僕だって、夢がある。この大会で優勝して、いつかはプロになって…って。こんなとこで終わるのは、嫌だ。」
岬の静かだが、強い気迫に毒気を抜かれた日向はその場にどっかりとあぐらを組んで座った。
「日向さん、皆、皆そうなんですよ。」
若島津が日向の目の前にしゃがんだ。
「ここにいる奴らは皆、こうやって全員でずっとサッカーできたらって思いと、早く優勝したいって思いを持ってる。どっちが強いかなんですよ…これが、本当に誰かの夢ならば……その『誰か』も気付いていないのかもしれない。」

「そう。そして、僕と若島津がこの違和感に気付き、皆にそれを意識させたから、この世界は歪みを露呈し始めたんだ。きっと。」

三杉のこの言葉を聞くと、全員、外界から寸断された『この世界』の果てを見た。

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