CHAPTER 2
「日向く−ん!」
「…。なんだよ、翼。」
「ふっふっふっ。ちょっと聞いててよ。……あんた、なんでそんな目つき悪いねん!」
「げっ。なんだ、その気持ち悪いイントネーションの関西弁。」
「え−?下手?練習したんだけどなあ。早田君に教えてもらって。」
「ああ?」
「あかん、あかん、翼。『る』やのうて、『わ』の方にアクセント持ってこな。」
「あ−、そうか−。難しいなあ。」
「……お前ら、何やってんだ?」
「何て、翼が教えろ言うから、大阪弁講座や。俺には、東京弁はこそばゆくて、あかん。」
「日向君てさ、訛りないね?」
「そや。東京近郊て、『〜だべ?』とか言うんちゃうのん?」
「俺は、育ちが良いからそういう話し方はしないのだ。」
日向が自信たっぷりに言ったこの言葉に、翼と早田、横にいた岬も大爆笑した。
ウケた日向は腕を組み、満足そうに笑っている。
「日向君、機嫌直ったみたいだね…。」
「まあ、あの人もなんやかんや言って、適応力は高いからな。」
その様子を少し離れたところで見ていた三杉、若島津、若林は半ば呆れ気味の様子だった。
「暇だからな、あんなアホなことでもやろうって気になるんだろ。」
「なんだよ、若林。今日は悪態つかないのかよ。」
「そんな気になれねぇよ。何が起きてるかはっきりするまで、仲良しこよしでいくしかないだろ。」
若島津と三杉は、それもそうだと言わんばかりに少し片眉をつり上げた。
外界から完全に分断されてからどれくらい経ったろうか。
毎日、日が昇って朝が来て、日が暮れ、月が現れ、夜が来る。
24時間は正確に刻まれているようだった。
だが、彼等には『次の日』という観念がなくなっていた。
何も、変わることがないのだ。
ただ、ひどく穏やかに毎日が過ぎてゆく。何の変化もなく。
賢明な三杉は、朝日が昇った回数を記録していた。7回。
どうやら通常で言えば1週間、この恐いくらいに変化のない、穏やかな日々を過ごしていることになる。
「夢邪鬼?」
「そう、俺、本で読んだことあるんだ。」
森崎から唐突に発せられた、「夢邪鬼という妖怪がいるらしい」という言葉に、三杉、若島津、若林はひきつけられた。
普段なら笑い飛ばしてしまうような、荒唐無稽な話だが、実際、荒唐無稽な世界に放り込まれた彼等にとっては、下らないと笑い飛ばすことは出来なかった。
「そいつはね、人の強い夢を叶えることを自分の糧にしているんだ。」
「なんだ、いい奴なんじゃねぇか?」
「そうかな。若林さん、考えてみて下さい。例えば、このJr.ユースの大会で優勝したいって夢。それを、自分の力じゃなく、勝手に第3者の力で叶えられてしまったら…どうですか?」
「…つまらん。」
「でしょう?そうやって、人から夢に向かって努力する力とか、そういうのを奪っちゃうんですよ。」
陰険だな…3人は深い溜息をついた。
「じゃ、君の考えじゃ、その夢邪鬼にとりつかれてる者がこの中にいるってこと?」
三杉は、小さな、真剣な声で森崎に訊いた。
「その可能性もあるってこと。…ただ、そいつ自身、自分が夢邪鬼に接触したなんて気付いていないかも。」
「おい、お前ら、何コソコソ相談してるんだよ。」
日向の声に、4人は振り向いた。
そうだ、何も小声で話すこともないではないか。それに気付き、4人は少し笑った。
そして、今の話を日向にもしてみた。
日向のことだから、思いきり笑い飛ばすか……森崎は、「つまんねぇこと言ってんじゃねえ!」などと、自分が怒鳴られることさえ恐れていたのだが、意外にも日向は特別反応を見せず、ふーん、と言っている。
「……日向さん?あんた、何か、心当たりあるんですか?」
明らかにいつもの『日向らしく』ない様子に、若島津は怪訝そうな顔をした。
「いや。何も。少なくとも、俺じゃねぇよ。俺はこんなこと、これっぽちも望んでねぇし。」
「……でしょうね。」
なんとなく若島津は腑に落ちなかったが、日向はとってつけたように「ばかばかしい」と言い残して、その輪を離れた。
「若島津?どうした?」
三杉に声を掛けられ、はっとしたが、それでも日向の後ろ姿から目を離すことが出来なかった。
「おい、お前、ちょっと、話、いいか?」
日向は、『彼』が一人でいるところを見計らって声を掛けた。なるべく、穏やかに。
『彼』はきょとんとした様子だったが、素直に従った。
『彼』の部屋から出て来た日向は、自室に戻るとベッドに横たわり、大きな溜息をついた。
同室の若島津や反町は、まだ談話室で話しているのだろう、いなかった。
「俺の、思い過ごしかな…。」
そう言って少し笑うと、そのまま眠りに入ってしまった。
「なあなあ、若島津。日向さん知らない?晩メシの時間にあの人が来ないなんてさ−。」
「え?」
「部屋見に行ってもいねぇんだよ。グランドにもいねぇし。」
若島津は目を見開き、昼間の日向の後ろ姿を思い出していた。
「どこにも、いない?」
「また、あの人の放浪癖が出ちゃったかねぇ。」
反町は呑気そうに言った。
確かに、日向は時々ふっと沖縄へ行ってしまうことがあったが、今は、どこにも行くところなんてないではないか。
若島津は大慌てで部屋を見に行った。
が、反町の言葉通り、そこに日向の姿はなかった。荷物は、全部ある。
ふと、ベッドのわきの床を見ると、そこには脱ぎ散らかされた靴があった。
よく見ると、ベッドに、ついさっきまで日向が寝ていたかのような形の跡が残っていた。
若島津はそこにそっと触れた。
「温かい…。」
もう一度見渡しても、姿はない。靴も履かずにどこか行くことは考えられない。
「消えた…?」
若島津は、一瞬、目眩を覚えた。
* * *
「あれ?どこだ?ここ。」
目が覚めると、日向はなんとなく見覚えのある街の、狭い路地に立っていた。
足下を見ると、なんだか、自分の足がやけに小さい気がした。
ふと顔を上げると、すぐ横には駄菓子屋がある。
「うわ…!懐かしいなあ!」
それは、日向が幼い頃−−−まだ、父が生きていた頃−−−によく行っていた駄菓子屋だった。
店番のお婆さんもそのままである。
懐かしさに、そこに入ろうとした時、入り口の安物のガラス戸に映る自分の姿を見て驚いた。
「なんだよ、俺、子供じゃねぇか…。」
咄嗟に、自分の頬をつねってみた。痛みは、ない。
「ああ、夢か。初めてみたな。子供の時の夢。」
満足そうに少し笑った。
「小次郎!」
振り向くと、父が弟を肩車して笑顔で立っていた。
「父ちゃんが夢に出てきたのも、初めてだ…。」
柄にもなく涙が込み上げてきそうになったがそれをぐっとこらえると、父の元へと走って行った。
夢なら、悪くない−−−そう、思いながら。
ひぐらしが、盛んに鳴いていた。
* * *
「日向が、消えた!?」
「お前も、知らないか…。」
自分達の部屋を出て、念のため松山にも日向の居所を確認したが、案の定、知らないようだった。
「どこか行ったんじゃねえの…って、行く場所なんか、ないよなぁ…。」
そうなんだ…と言って、若島津はがっくりと肩を落とした。
「大丈夫、その内、ひょっこり現れるって。」
松山もどうしたら良いか分からず、若島津の肩を叩き、慰めた。
「えっ!?日向が!?」
食堂で全員に確認しても、さきほどの松山と同じような反応しか返って来なかった。
「やっぱり、日向さん、何か知ってたんだ…。昼間、もっと追求するべきだったんだ…。」
若島津は、日向が消えたことはまるで自分の責任であるかのように、意気消沈していた。
三杉はその姿を見て、同情の念を禁じ得なかった。
「誰だよ…」
「若島津?」
「こん中に、いるんだろ!?日向さんを隠した奴!戻せよ!あの人が何したってんだよ!」
「若島津、落ち着けよ!」
反町が若島津を制した。
「皆だって、日向さんのこと、心配に決まってんだろ…。」
若島津はどっかりとイスに座ると顔を伏せ、「ちくしょう…!」と言いながら拳で机を何度も殴った。
少しずつ、この世界もバランスを崩し始めていた。
いや、というよりも、この世界を守るために、何か、必死の力が働いていた。
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