CHAPTER 1   出逢い 

「母さんのやつ…なーにが『ツバサも集団生活送った方がいいわね』だ。こんなクソ田舎の学校に俺を押し込んで…」
花の咲き誇る季節、少年は、名門シュロッターベッツの威厳ある門の前で一人ごちた。
彼は、今日から寄宿生活を始める。集団生活をしたことのなかった彼にとっては未知の経験だが、少しも楽しみではなかった。彼は、父が仕事で空けがちな家で、母と二人生活する日々で満足していたのだ。母の雇う家庭教師が来たりしたが、彼は気難しかったので誰も長くは続かなかった。困り果てた母親が父親に相談したところ、「集団生活に入れて辛抱ってものを教えた方がいい」と言ったのだそうだ。家を空けてばっかりで、俺のこと何も知らないくせに……少年は、父への怒りが沸き上がるのを感じた。

「ああ、もしかして君が4学年に転入の、えーっと…」
「ツバサだよ」
門の中から、一人のすらりとした美しい利発そうな少年に声を掛けられたが、ツバサはぶっきらぼうに答えた。
その様子を見て少年は少し笑うと「僕は同学年で委員長のミスギ。分からないことはなんでも聞いて。とりあえず、校長室へ行こうか。」と言って門を開けた。
こうして見ると、随分立派というか、大袈裟で妙ちきりんな建物である。
「これ、もともと学校?」
「ああ、これは、昔の貴族が別荘に建てた物なんだよ。変人だったらしくてね、妙な建物だろう?」
穏やかに微笑み、そう答えるミスギを見て、こいつは、いい奴かもしれないなと、ツバサは感じた。

「俺、寄宿生活というか、学校なんて初めてなんだ。」このツバサの言葉にミスギは少し驚いたようだったが、利発な彼はそれを口には出さず、「まあ、ちょっとした規則さえ守れば、楽しく過ごせる所だよ。」そう言ってツバサを励ました。
校長室へ向かう道すがら、少年達から好奇の目がツバサに向けられる。
少年達は普段、外部から遮断されている。土曜の午後に外出許可を取って出かけるか、特別なイベントで学校に招待客が来る時くらいが外部との接触なのだ。転入生が来るなんていうのは、格好の話題の的となる。
「ミスギ!そいつは!?」
「4学年への転入生。あとで紹介するよ。」
階段で鈴生りになってツバサを見る少年達を、「サルみたいだな…」と思い、ツバサは一人でクスクスと笑った。

校長に会った後、ミスギが学校、および寄宿舎の案内をしてくれるということだったのでツバサはついて歩いた。相変わらず、生徒達が無遠慮な視線を投げかけてくる。「なんか、ムカついてきた…」というツバサの囁きを聞き、ミスギは苦笑しながら「皆、退屈してるんだ。許してやって。」と言った。
「君は、ここの部屋で生活することになる。」そう言ってミスギはひとつの部屋のドアを開けた。
4人部屋だった。産まれてからずっと、好き勝手にひとりで部屋を広々と使ってきたツバサは一瞬目眩がした。こんな大人数で1日中過ごすなんて…!
部屋には2人の少年がいて、さっそくツバサに好奇の目を向けていた。
「こちらがツバサ。今日からこの部屋の仲間だ。ツバサ、右からイシザキ、マツヤマ。あとの同室は、この僕と……あれ?ミサキは?」
「さっき、ゲンゾーと中庭で話してたぜ。」マツヤマという少年が、少し面白くなさそうに答えた。
「ああ、そう。じゃ、ついでに中庭に案内するよ。ゲンゾーもいるなら、ちょうどいい。とりあえず、荷物置いて。細かい規則は後で話すよ。」

中庭へ向かう途中、廊下の窓から見える景色は見事だった。
この学校は中洲に建っていて、校舎までは桟橋を渡らなくてはいけないのだが、その様子が、王子が姫君を助けに来る…なんていうお伽話がぴったりくるような、ロマンチックな景色を作っているのである。
こういうの、母さんが好きそうだな…とツバサは思った。
「ここが、中庭に出る扉。」そう言ってミスギがドアを開けた。
時は5月。
ちょうど、色とりどりの花が美しく咲き誇り、真ん中に据え付けられた小さいけれど美しい噴水が、これまたロマンチックな風情を醸し出していた。
「あそこにいる、黒髪の方がゲンゾーで、ブルネットの方が君や僕と同室の、ミサキ。」

ミスギの指す方向を見たツバサは、まるでこの学校の美しい景色を見ながら想像してきたお伽話が今、現実なって現れたかのような錯覚を覚えた。
ミサキという少年は、今まで見たどの人間よりも美しく思われた。
白い肌に、薔薇色という表現がぴったりと当てはまる頬、柔らかそうな髪、髪と同じ、深い茶色をした大きな瞳。
「…ツバサ?」ミスギが訝しそうに、絶句しているツバサを覗き込んだ。
「えーっと、女の子、じゃないよね?」
それを聞いたミスギは、少しの間の後、大笑いし、聞こえていたのであろう、ゲンゾーという少年(というより、青年という表現が、彼には当てはまる)も同じく大笑いした。
当のミサキは、少し首を傾げ、困ったように微笑んでいた。
「ツ、ツバサ、いくらなんでも失礼だよ…!」
「シュロッターベッツは、由緒ある男子校だぞ。」
ミスギとゲンゾーが交互に、笑いながら言った。
「もういいよ、ゲンゾーもミスギも。笑い過ぎ。ミスギ、彼は?転入生?」ミサキが少し苛々した様子で言う。
「ああ…、失礼。彼は、今日から僕らと同室のツバサ。」
ツバサはポカンとしていたが、ミサキから「よろしく」と微笑まれ、「あ、あの…女の子?なんて言って、ごめん。面白くないよね。」と慌てて謝った。
「ミサキは、そこら辺の女の子よりもずっと綺麗だからな」ゲンゾーが、何故か自慢げに言った。
「あと、俺はお前より2学年上のゲンゾー。俺と同学年にはコジローとかケンとかっていう、面白い連中がいるぜ。今度ミサキと一緒にサロンへ来いよな。」そう言って、ゲンゾーはミサキの背中を2回軽く叩き、去って行った。
ツバサは、この学校へ来たことは、良いことかもしれない…と感じていた。

はじめの1週間は大変だった。
ツバサはずっと好き勝手な時間で生活していたので、何時に何をしなくてはいけない、といった生活習慣に慣れるのに随分と骨を折った。
もー、家に帰る!そう何度も思ったが、同室になった少年達が皆、気さくないい奴だったし、何よりミサキの美しい笑顔に救われ、少しずつ学校ってのも悪くないなと思えてきた。
ようやく学校に慣れてきた頃、ツバサは母親に手紙を書くことを思い付いた。気のいい少年たちに囲まれ、それなりに楽しくやっていること、この学校の景色は美しくロマンチックで、母さんが好きそうだと思ったことなどを書き綴っていた。
「ツバサ、誰に手紙書いてるの?」ミサキが横からひょっこり現れた。
「うん。母さんに。心配してるかなと思って。」
「へぇ、母さんに…。ね、読ませてくれない?」 
「いいけど…。面白くないよ、母さんにだもん。」
「僕には、面白いよ。」
そう言って、ツバサから手紙を受け取ったミサキは、満足そうな笑みを浮かべながら読んでいた。
「ミサキ…面白い?」
「ああ、ごめんね。僕、母さんいないんだ。だから、『母さんへの手紙』ってどんな感じなのかなって思って。いいね、こういうの。お母さんも喜ぶんだろうな。」
ミサキは、いつものきれいな笑顔でそう答えたけれど、「母さんがいない」という言葉を聞いて、ツバサは返答に困ってしまった。その様子を見て、ミサキは慌てて言葉を継いだ。
「あ、えっとー。ツバサ、気にしないでね。父さんはいるし、母さんだって亡くなったわけじゃないんだ。父さんと母さんが、僕の小さい頃に別れちゃって……とにかく、僕は全然気にしてないから、気を使わないでね。」

妙な沈黙が流れた。ミサキもツバサも、お互いに気を使わせまいと何か言葉を継ごうとするのだが、そういう時に限って中々言葉が出てこないのである。 

「あ、そうだ!ツバサ。来月からは、創立祭の準備で学校中が大騒ぎになるんだよ。」
「創立祭?」
「そ。毎年、7月にあるんだ。皆で劇の練習したり、花飾りを作ったり……楽しいんだよ。当日にはドーナツ屋さんが出たり、あと、たくさんの招待客も来る。お母さん、呼んだら?」
「へぇ、面白そうだな…俺の母さん、そういうの好きそうだ。」
「女の子も来るから、皆、ダンスの練習とか真剣にやっちゃってさ…君、ダンス得意?」
「ダンス?うん、得意だよ。よく、母さんの相手させられたもん。」
「じゃあ、明日から練習あるから、楽しみだね。」
ミサキの美しくも可愛らしい笑顔を見ると、誰もが幸せな気分になる。
もちろんツバサもそうだった。
そして、ああ、ミサキのことが好きだなあ…と、いつしか自然と思うようになっていた。

「足にリズムを叩き込み、しっかりと女の子をモノにするように!」
男性教諭の、男子校ならではのこのかけ声を聞くと少年達は、ワーっと盛り上がった。
ダンスの練習と言っても、男子校の悲しさで、2人一組でするにも、どちらかが女性のステップを踏まねばならないのである。シュロッターベッツの少年たちはこの環境に慣れているので、男、女どちらのステップも踏める者がほとんどだった。
「ツバサ、得意なんだよね?」ミサキがツバサのもとへ来て、一緒に組もうよ、と誘いに来た。ツバサはもちろんそれに応じた。
「はじめは僕が女の子のステップ踏むね。それを覚えて、あとで交代してね。」
ツバサは、女の子のステップなど踏んだことがないので、それは助かると思った。

「わ……!!すっ…げぇ…。」

がさつな少年が多いので、やれ足を踏んだだの、足が絡まっただの大騒ぎの中、ツバサとミサキのダンスを見た少年たちから溜息まじりの感嘆の声が漏れた。
二人のダンスはまるで、何年も前から一緒に踊ってきたかのように軽やかで、美しかった。
あたかもそこに一組の王子様とお姫様が踊っているような、そんなロマンチックな場面を、粗野な少年達が思い描いてしまうほどに。
いつしか他の少年達は自分の練習はそっちのけで、二人の踊りに見入っていた。教師までも。曲が終わった途端、全員から盛大な拍手が送られた。

「もー、なんだよ、皆。やりづらいよ。ミスギまで…」ミサキが少し赤くなって皆に抗議した。
ツバサは、その横で平然とした顔をしている。ミサキと自分の息がぴったりなのは当然なのだという表情で。
「ごめん、ごめん。あんまり綺麗だったからさ。」委員長であるミスギがそう言ってもう一度拍手すると、少年達もそれに続いた。
「なあ、ミスギ!創立祭の劇、まだ配役決まってないよな!?オーランドをツバサで、ロザリー姫をミサキってのはどう!?」
「そうだね、うん、それは名案かもしれない。イメージにも合うし。君たち、どう?」
「あー、もう…また勝手に話進めて…ツバサ、どう?って言ってるけど…。」ミサキは少し困った様子である。
「どうもこうも…何?劇って?」
「昨日、少し話しただろ?創立祭の出し物なんだよ。今年はなんだっけ…シェイクスピアの『お気に召すまま』ってやつで…」
ミサキの語るところによると、あらすじはこうである。
ロザリー姫に恋したオーランドという青年が、なかなか思いを伝えられず、告白の練習を羊飼いの少年を相手にするのだが、実はそれがロザリー姫で…という喜劇。オーランドが、羊飼いの少年こそがロザリー姫本人とは知らずに告白の練習をするところが滑稽な作品である。
「うん、いいよ。ミサキがロザリー姫やってくれるなら。」ツバサはにっこりと笑った。
「だって、ミサキ!あとはお前次第だぜェ。お前がウンって言えば、話はスムーズに…」
「もう、わかったよ。やるよ。もう、女の子の役は嫌なのになー…。」ミサキの最後の不満は、もちろん皆の耳に届くことはなく、決まった!決まった!と大盛り上がりの内にその日は過ぎていった。

「お前と、あのはねっ毛の転入生…ツバサって言ったっけか…ダンスで息がぴったりだったって、お前の学年の奴が大騒ぎしてたぜ。」
その日の夕食も終わった後、大きな温室の裏手にある小さなベンチにゲンゾーとミサキは寄り添うように座っていた。二人は、1年ほど前からこのベンチで逢瀬を重ねるようになっていた。
「ええ?もう、話いってるの?早いなあ…」
「お前は、この学校のアイドルだからな。」そう言ってゲンゾーは岬の耳の下に軽くキスをした。
「君は、すぐそうやって僕をからかう…」ミサキは優しい力でゲンゾーを押し戻そうとしたが、逆に抱きすくめられ、抵抗をやめた。
「こうやって二人っきりになれるまでは、お前が皆にちやほやされてるの、黙って我慢してるんだぜ。…誰だって、アイドルが欲しいんだからな。」
「僕は、そんなのごめんだ。」
「じゃ、俺のものだって公言するか?」
「い・や。それに僕は、別に、君のものじゃない。誰のものでもない。」
ミサキの勝ち気な目を見て、ゲンゾーは笑った。またバカにして…と、ミサキは少し不貞腐れた。

「俺の父親がな、お前見てびっくりしてた。お前の母親にそっくりだって。」
「君の、お父さんが……?へぇ、そう。母さんの顔、覚えてくれてるんだ。」
「そりゃ、そうだろう。若い頃惚れてた女だから。結局、彼女はお前の親父さんを選んだけどな。」
「でも、母さんはまた違う男のところへ行っちゃった。父さんは、今でも好きみたいだけどね。」
「いい女だったんだろうなぁ。」
「どうかな。僕はわからない。でも、きれいな人だったって。」
「お前に似た、な。」
またからかったなーとミサキはゲンゾーをぶつ真似をした。
ゲンゾーは、この一時がとても好きだった。ミサキを一人占めできる時間。ミサキが自分だけを見てくれる時間。
本当は、一緒にいない時だってミサキの心の半分はゲンゾーで占められていたのだが、そんなことは知る由もない。

「ミサキー。どこ?劇の台本もらったよー。」ツバサの声が聞こえ、ふたりは咄嗟に身体を離した。
「こっちだよ、ツバサ。」ミサキは声の方に呼び掛けた。
しばらくしてからツバサが来て、ミサキがゲンゾーと一緒なのを見て少し訝しがったようだが、構わず話を続けた。
「台本もらったから一緒に読もうかと思ったんだけど…。取込み中だった?だったら、後でもいいんだ。」
「いや、もう、部屋に戻ろうと思ってたところ。」
「劇?」ゲンゾーが興味深そうに聞いた。
「うん。シェイクスピアの『お気に召すまま』ってやつやるんだ。」
「へぇ。で、どうせミサキがロザリー姫の役なんだろ?」正解!とツバサが楽しそうに言うのを見て、ゲンゾーは笑い、それを見たミサキは溜息をついた。
「お前、今年こそ女の子の役はやらないんじゃなかったのか?」ゲンゾーがニヤニヤしながら聞き、ミサキは仕方なかったんだよ…とまた溜息をついた。
「俺が、オーランド役なんだ。」ツバサが自慢らしく言うのを見て、ゲンゾーは少し目を丸くしたが、すぐにいつもの余裕ある笑顔に戻ると「せいぜい、丁重に扱えよ。皆のアイドルなんだからな。」と言ってツバサの頭を軽く叩き、オヤスミと言い残して上級生の寄宿舎に戻って行った。

「ミサキ、ゲンゾーと仲いいんだね。学年違うのに…。初めて会った時も、一緒にいたし。」
「え?ああ、うん。父親同士が、昔からの知り合いなんだ。」
「へぇ?どんな?」
「ひとりの女を取り合った仲。」
「わ、なんか、ロマンチックだね。それ、ミサキのお母さん?」
「正解。カンがいいね。」ミサキはにっこりと笑い、それを見たツバサはやはり嬉しくなってしまった。
「きれいなんだろうな、ミサキのお母さんって」
「僕は、覚えてないんだ。すごく小さい時に別れたから。でも、僕にそっくりらしいよ。」
「へぇー、じゃ、すっごくきれいな人だね。」
あまりに無邪気にツバサがそう言うのを聞き、きれいだとか可愛いとかは言われ慣れているはずのミサキも少し赤くなった。
ツバサは、そんなミサキを少し意地悪な気持ちで見ていた。

ツバサは、ゲンゾーとミサキの醸し出す特別な空気を感じとっていた。
いつもの穏やかなだけのミサキとは違う、二人だけに共有される、濃密な空気。
ツバサは、ゲンゾーに嫉妬を覚えているのである。ミサキのあの目が、自分に向くことはないだろうか、いや、向かせてみせる。

負けず嫌いのツバサは、そう、決心した。

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