翼くんね、いつも岬くん、岬くんて言ってた。
中学の3年間なんて、ほぼ毎日よ。わたし、すごく嫉妬したわ。
だって、あなたはどんなに離れていたって翼くんの心の半分以上を独占できるんだもの。
そうよね、あなたたちは同じ夢を見て、同じ方向に向かっていつも肩を並べて走っているものね。
私たち女の子は、だめね。
疲れた身体を癒す場所にはなれるけれど、ただ、それだけのこと。
時々思い出してもらって、そしてまたすぐ忘れられるの。
物理的にそばにいたって、そう。
翼くん、今でもきっと毎日あなたのことを思ってる。
岬くん、わたし、あなたには、なれない。
だから−−−−だから私、女のやり方で翼くんをもらうわ。
悪く、思わないでちょうだいね?
岬くん、わたし、あなたのことも、好きよ。
だって、翼くんが、そんなに好きになった人なんだもの。
そう、僕に告げて中沢早苗さんが、翼くんと結婚した。
いずれはそうなるだろうなとは思ってたけど、いざ実際なると「おめでとう」なんて、素直に思えない。「おもしろくない」。むしろ、こっちが本音だろう。
『結婚』−−−−「女のやり方で」って、こういうことだったんだ、中沢さん。
女の子は、約束するの、得意だもんね。女の子はすごいよ。たくましい。かなわないや。
そんなことを考えながら大勢の招待客で賑わうガーデンパーティーの片隅で僕はひとり、上等のワインをぐびぐび飲んでいた。
ワインなんて、飲み慣れすぎて、ちっとも酔えやしない。
本日の主役のひとり、新郎の方に目をやると、きょろきょろと誰かを探している様子だった。
大方、僕を探しているのだろうとはわかったが、わざと知らない振りをしていた。
その内、新郎は僕に気付き、人々の輪を抜けてこちらへやってきた。
燕尾服なんか着ちゃって、絵に描いたような新郎ぶりだ。
「岬くん」
「翼くん」
「−−−−怒ってる?」
「何を?」
「俺が、結婚なんて、したこと。」
「まさか。いいんじゃない?おめでとう。」
スキのない笑顔で、僕は、そう言った。
翼くんは−−−−とても、不機嫌そうな顔をしていた。
「だめじゃないか。新婦を放ったらかしにしてきちゃ。」
「こっち来て。」
増々不機嫌な顔つきになり、僕の手首を強い力で掴むとぐんぐんひっぱって人気のない方へと連れて行った。
翼くんは不機嫌な時、前のめりになって早足で歩くんだよな−−−−と思い出しつつ、僕はぼんやりと連れて行かれた。
やっと、翼くんが立ち止まった。
「なに?」と僕が聞くや否や思いっきり翼くんの方へ引き寄せられて強く、濃厚なキスをされた。
二回、三回−−−……その内、翼くんは唇を首筋に這わせ、強く吸ってきた。
「ち…ちょっと!痕、つくだろ!!?」
「痕、つけてんだけど?」
「何、かんがえてんだよっ!」
ようやく翼くんを突き放した−−−−けれど、彼の満足そうな笑みから察するに、僕の首筋にはくっきりと痕が残っているのだろう。
「−−−何、考えてんだよ…。」
できるだけ不機嫌そうな声で先刻と同じことを言った。
なのに、翼くんはまた強く抱き締めてくる。
嗅ぎ慣れたはずの彼の香りが、何となく恥ずかしく感じられた。
「会いたかった……!」
絞り出したような声で翼くんが言う。
もちろん、僕だって。
でも、そんなことは言ってやらない。
僕のいないところで別の幸せを築こうとしている翼くんになんか−−−
そう思っている自分に気付いて、ああ、僕って嫉妬深かったんだ、と知る。
他人に執着しない僕に嫉妬までさせるなんて、と、ますます悔しい気持ちになる。
こんな時、翼くんみたいに相手への愛情を素直に表現できたらどんなにか楽だろう。
でも、僕は、そうしない。
僕は、僕自身に禁止事項を与えることを好む。自分を解放しないことを。
お前って、ストイックなのな−−−−そう言って笑ったのは、若林君だったろうか。
「岬くん、俺、会いたくて会いたくて仕方なかったんだ。」
僕をじっと見つめて翼くんが、言う。
「なんで?結婚するくせに。」
翼くんが、にっこりと微笑む。この余裕ある微笑みが僕は、大好きで、大嫌いだ。
サッカーの時には、彼の自信ある笑みほど頼りになるものは、ない。
同じチームの者をたった一瞬で安心させてしまうような、勝利を確信した微笑み。
でも、こうやって恋人として対峙した時には、心の中を見透かされたようでとても恥ずかしくなる。
恥ずかしいから大嫌いなのに、そうやって翼くんの微笑む瞳で心を裸にされていくことに快感を覚えている、というのも事実である。
「岬くん。俺、早苗ちゃんのことは、愛してるよ。」
「あっ、そう。」
「でもね」
「でも?」
翼くんの顔が近付く。
あ、キスされる、そう思ったのに、翼くんは珍しく僕の頬に優しく口付けてこう言った。
「君に、焦がれる気持ちは、変わらない−−−−」
甘い、甘い声。
こんな声を耳もとで囁かれたら誰だって恋せずにはいられないだろう。
「早苗ちゃんはね、俺に拘束される幸せを選んだんだ。可愛いだろ?俺も、彼女になら拘束されてもいいって思ったんだ。彼女といるととても、穏やかな気持ちになるんだ。君といる時は、違う。いつもいつも、どきどきするんだ。」
そう言われてはじめて、僕を抱き締める翼くんの鼓動が早いことに気付いた。
「岬くん。君は、俺に拘束されることを、望まない。君はいつだって自由でいなきゃいけない。俺も子どもの時は君を独占しようと躍起になってた。でも、君は、『つかまえた』と思った瞬間にもう、するりと飛び立っていっちゃうんだ。君は誰のものにもならないって大人になってから気付いた。俺はきっと、はじめて会った時から君の虜だったんだ。だから、俺は一生、君に焦がれ続けるんだよ−−−−。」
「翼くん、それって、すごい恋の告白じゃない?」
今まで何度も唇も、身体も重ねてきた相手に改めてこんなことを言われるなんて、なんとなく、気恥ずかしい。
「うん。−−−俺、上手にできてるかな。」
「君って人はほんとに………」
「ふふ。そう、俺、贅沢なんだ。」
「愛も、恋も諦めないなんてね。」
「欲しいものは、なーんでも手に入れるよ。」
「はいはい。もう、そろそろパーティー戻りなよ。主役なんだから。」
翼くんはそうだね、と僕の頬にキスをひとつ落として走っていった。
僕だって、翼くんに、恋をしている。
その気持ちに気付いたのはいつだったろうか。
僕たちはフィールドに立つその数十分だけ相手と一つになれる。
フィールドを下りて少し離れたところから翼くんを見てみると、それはそれはまぶしくて、こんな人と自分が一つになってたというのが信じられないくらい。
あまりにも翼くんがまぶしいから恐くて、彼から自分を守っていたら僕は、いつの間にか、自分一人で居られるようになってしまった。
それを後悔したこともあったけれど、それによって君が僕に恋し続けるならそれでもいいって、今は思える。
僕は勝手だから、翼くんに恋してるといいながら、絶対彼のものにはならない。
だから、僕は、彼の贅沢品であり続けよう。
それが、僕たち二人という、恋の形。
Fin.
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