CHAPTER 3   『土曜の午後』




土曜の午後は、シュロッターベッツの生徒たちの楽しみのひとつとなっている。
許可を取りさえすれば、校外へ外出できる数少ない機会だからである。


「おい、ツバサ。お前、今日は俺たちと出かけるよな?」
ツバサが廊下を歩いていると、イシザキが後ろから駆け寄ってきた。
イシザキはとりわけ気さくな少年で、初対面からツバサに積極的に話し掛け、周りの友人に馴染むようにしてくれた。
どうも、世話好きらしい。
もともと気難しいツバサは、学校生活を楽しく過ごすにあたって、イシザキには随分と助けられていた。
「うん。今日は、この辺のおもしろいところ案内してよ。」
「お前のいたケルンと比べると何もないけどなー…。ま、可愛い女の子がよく来るカフェでも行こうぜ。」
「なになに?何か、楽しそうな話?」
ミサキが横からひょっこり現れた。
「ミサキは今日、どうするんだ?また親父さんとこ?」
「ううん、今日は、父さんパリに行ってるからいないんだ。イシザキたちと一緒に行ってもいい?」
「わー。ミサキと外出なんて、初めてだよね!俺、楽しみだなあ。」
そう言ってツバサがあからさまに嬉しそうにするのを見てイシザキは「お前、わかりやすいなー」と笑った。



街に出てみると、シュロッターベッツの制服の少年達がちらほら見受けられる。
イシザキが連れていってくれたカフェは溜まり場らしく、同じリボンタイの少年達がたくさんいた。
そして、着飾った美しい少女たちがそれを取り囲むように遠巻きにいる。
「かーわいい子ばっかりだろ!?」
イシザキが嬉しそうにツバサにそう言ったが、ツバサは、少女達をぼんやりと見、かわいいけど、
ミサキの方が綺麗だなあなどと考えていた。
しかし、ふと横を見ると、さっきまでそこにいたミサキの姿が見当たらない。
「あれ!?ミサキは?」
「ああ、ミサキなら、この近くに行きたいところあるから、1時間くらいそこへ行くって、ついさっき……」
「それ、どっちの方角!?」
「ああ、あっち…」
マツヤマが東の方向を指すと、ツバサは「じゃあ!」と言い残し席を立つと、急いでミサキの後を追った。
急いだ甲斐もあり、ほどなくミサキの後ろ姿を確認できたが、なんとなくミサキの「行きたいところ」が気になり、ツバサはこっそりとミサキの後をつけた。


ミサキは、広い公園を抜けると、その裏手にあるジンチョウゲに囲まれた敷地へ入った。
どうやら、そこは私有地らしい。
少し間をおいてから入ったツバサはそこに、こぢんまりとしたかわいらしい家を見た。
しかし、随分長いこと誰も住んでいないようで、家が荒れ、ベランダの手すりに至っては木製の為、ほとんど腐っていた。
ドアを開ける音が聞こえた。
ミサキが入ったのであろう。
ツバサは引き続き、こっそり後をつけようとした。
しかし、こんな古びた家が、ミサキにどういう関係があるというのだろうか。
庭を振り返ると、背の高い、比較的しっかりした木があり、そこには手製の小さなブランコがかかっていた。
これも、かなり古いようである。



「人が住んでいないってだけで、家ってこんなに荒れるんだ…」
ツバサがつけていることなど露ほども知らないミサキは独り言を言いながら、軋む階段を上った。
「懐かしいなあ…といいたいところだけど、あんまり覚えてないや。」
2階には3つ小さな部屋があり、それをひとつひとつ覗きながら、ミサキは少し寂しそうに笑った。
南に面する部屋にはベランダがあり、ミサキはそこに立った。庭を見下ろすことのできる、ベランダ。
ここで父や母は、庭で遊ぶ、小さな自分を微笑ましく見たりしたのだろうか。
幸せな情景の似合う家と、庭。
ふと、庭にある大きめの木に目をやると、さっきここに来た時には気付かなかったブランコが目に入った。
この家で父と母と過ごした、一番幸せな時期はあまりに幼かった為にほとんど覚えていないが、ブランコを見た途端、ひとつの情景がミサキの脳裏に鮮やかに蘇った。


手すりに掴まり、身を乗り出してブランコをよく見ようとした途端、手すりは音を立てて崩れた。
ミサキもバランスを崩し、危うくベランダから転落するところであったが、後ろから抱き締められ、それは免れた。
「ツ、ツバサ!?なんで、ここに…?」
「なんでもいいだろ!危ないよ!気をつけなくちゃ!」
ツバサも慌てたのだろう、心配と怒りで顔を赤くしながらミサキを叱りつけた。
そんな姿がおかしくて、ミサキは声をたてて笑った。
「アハハじゃないよ……って、もう、俺、ミサキの笑顔見ると怒れなくなっちゃうんだよなぁ。」
そう言って、ツバサも頭を掻き掻き笑った。



「ここはね、僕が小さい頃……まだ、父さんと母さんが別れる前に暮らしていた家なんだ。ここにあるってことはだいぶ前から知っていたけど、中々来る気になれなかった。」
庭にしつらえられた小さなブランコをゆっくりと漕ぎながらミサキは、ぽつりぽつりと語り始めた。
ツバサは、木に身体をもたれさせ、聞いていた。
「本当に小さかったから全然この家のこと覚えていないんだけど…このブランコだけは、覚えてる。」
長い睫毛に覆われた瞳を伏せ、ブランコの揺れに合わせて柔らかな髪が流れるミサキの様子は、今まで見たどんなものよりも美しいと、ツバサは思った。

「僕、母さんの膝に抱かれて乗ってたんだ。すごく嬉しかった。でもね、僕の頭にぽたりと雫が落ちてくるんだ。母さんの顔を見上げると、泣いてた。僕、その時はまだ上手にしゃべれなかったけど、母さんが悲しんでるってことだけは分って、慰めたくて、何か言ったんだ。そうしたら母さん、無理矢理微笑むんだけど、やっぱり涙は止まらないんだ。…どうして泣いていたのか、今は分からない。ちょうど、父さんとの愛が冷めてきていたのかもしれないね。次の日起きると、母さんは居なかったから。」
そう言うと、ミサキはツバサの顔を見上げて曖昧に微笑んだ。
ツバサは、何も言えなかった。


バサリ。


その時、ブランコを支えていたロープが切れ、大きな音をたててミサキは地面に落ちた。
ツバサが慌てて駆け寄る。
「大丈夫!?ミサキ!」
「うん、平気。ロープがもう、腐ってたんだね。……あれ?」
ミサキは訝し気にブランコの座席だった木片を持ち上げ、まじまじと見ると今にも泣き出しそうな顔をして、
ツバサにその木片を渡した。
ツバサが見るとそこには、詩のようなものが彫ってあった。



花の中、光の中、美しいひと。
悲しいことが、何もかも嫌いなひと。



「これ…」
「多分、父さんが、母さんの為にこのブランコを作って…その時に彫ったんだと、思う。」
ミサキにそっくりだという美しい女性が、この、光溢れる庭で幸せそうにはしゃぎ、笑う姿がツバサの目に浮かんだ。
悲しいことの嫌いなひと……そんな彼女が、小さな、可愛いミサキを抱いて泣いていた。
そこにはどんな思いがあったのだろう。
もう、夫を愛せなくなってしまったことを嘆いていたのだろうか。
ブランコを作ってくれた、幸せな時を思い出しながら。
どうして、自分の心だけはあの時に戻れないのだろうかと。
膝には、夫との愛の証である、可愛いわが子を抱いているというのに。


だとしたら、あまりにも悲しいじゃないか。
愛したいのに、愛せない。そんなことって、あるのだろうか。
「……なんで、ツバサが泣くの?」
相変わらず悲し気に微笑むミサキにそう言われ、ツバサは、いつの間にか自分がボロボロと泣いていることに気付いた。
「ご、ごめん……。ミサキの母さんがどんな気持ちで泣きながらブランコに乗ってたのかなあって考えたら、なんだか…。」
「僕は、君が少し羨ましい。いつも、人の目を気にする前に、そういうふうに感情を上手く出せたらいいなあって思う。」
「ゲ、ゲンゾーの前では?心から泣いたり笑ったり…できる?」
「また、ゲンゾー?」
仕方ないなあという表情でミサキは笑うと、そうだね、彼の前では割とそうかもね、と言った。
「あ、でも、この家に来たこと、ゲンゾーには内緒ね。ゲンゾーのお父さん…すっごくお金持ちで、今でも僕の母さんの若き日に思い馳せてるようなんだけど、あの人の耳に入ったらきっとこの家買収されて、ぴかぴかに修復されちゃう。…僕は、思い出は、このブランコみたいに、時期が来たら自然に朽ちてしまうものでいいって思ってるから。」
いたずらっぽく笑うミサキを見て、ツバサは安心した。
そして、ミサキとの小さな秘密ができたことが、とても嬉しかった。



ミサキの言うように、いつかここはブランコみたいに家も朽ち果て、跡形もなくなってしまうだろう。
けれど自分とミサキの心には望みさえすれば、いつでも鮮やかに蘇るのだ。
ミサキにとっては幸せだったけれど、少し切ない幼き日が。
そして、ツバサにとっては今日の、切ないけれど嬉しいことが。


「ツバサ、ありがと。」
皆のいるカフェに戻る途中、ミサキがぽつりと呟いた。
「実は、あの家に行こうって決心つけられたのは、君の、お母さんへの手紙読んだからなんだ。それまでは『なんとも思わないようにしよう』って強がっていたのに、君の、簡潔だけどお母さんへの想いがたっぷりつまった手紙見せてもらったら羨ましくなっちゃってさ。」
「ええ?フツーの手紙だよ。別に、俺、母さんに思い入れなんてないし…。」
「肉親の愛とは、そーゆーものなのだよ、ツバサくん。失ってはじめてその重みに気付くのさ。」
「なんか…俺のこと、からかってない?」
「ない、ない!……けどさ、ほんとに良かった。母さんとのこと、ひとつだけでも思い出せて。」


「おーい!ミサキ、ツバサ!もう帰るぞ!門限だぜ!」
遠くからイシザキが呼ぶ。
『うん!すぐ行くよ!』
図らずも、声を合わせてしまったツバサとミサキは顔を見合わせて笑って、皆のもとへ走った。
「お前ら、声わせてんじゃねぇよ!」
「イシザキー、俺とミサキが仲良いからって、妬かないのー。」
「お前、あほか。」
イシザキは呆れた顔をして先を歩いたが、少ししてから振り向くと、妙に真面目な顔で言った。
「でもさ、お前ら、ほんとに前世が双児だったんじゃねぇの?なんでもかんでも息ピッタリだよな。」
それを聞くとまた、ツバサとミサキは顔を見合わせて笑った。
「くそー。二人してバカにしやがって…。帰ってからの創立際の練習では覚えとけよ!鬼演出家になってやる!」



いよいよ、創立際は10日後に迫っていた。





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